とあるAIが描いたヌード画像から考える、自動生成の問題と可能性。人工知能が描き出す人物画は「第2の不気味の谷」となるのか

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AI研究者Robbie Barrat氏は、自身のTwitterでAI(人工知能)で生成された奇妙な裸体画を公開した。Robbie Barrat氏は公開した裸体画について「だいたいこの(AIを実行している)マシンは、人間を腱や四肢がランダムに伸びてる肉塊としてただ描き出すだけなんだ。僕はそれを本当にシュールだと思うんだけど。マシンには僕らがこんな風に見えてるのかな……」と感想を述べている。確かに彼のいうとおり、そこに描かれた裸体画は美しさとはかけ離れた超現実的な姿だ。筆者が真っ先に思い浮かべたのはピカソの「ゲルニカ」をはじめとする恐ろしい戦争画だ。しかし、筆致としてはシュールレアリスムに近いだろう。いずれにしても人間の描く裸体画の美しさとは、遠くかけ離れている。

自動生成の理想と現実。そのギャップを思い浮かべるとき、筆者の頭には一つのゲームが思い浮かんだ。Hello Gamesの『No Man’s Sky』だ。『No Man’s Sky』ではプロシージャル生成によって、天文学的な種類の惑星や植物、生物をゲームに登場させるといううたい文句が大きく宣伝された。勇壮で力強い恐竜の姿を見せながら。ところがゲームをプレイしてみると、かっこいい生物というのはなかなか見つからず、プレイヤーは間の抜けたキメラのような生物ばかり目にすることになる。ただしその後のアップデートにより、生物にバリエーションが確認できるようになってきている。この手の落胆は、ゲームのアバターを自動生成した時に、しばしばついてまわるものだ。Barrat氏のAI同様、人間がつくったプログラムは、時折審美眼を欠くこともある。

『No Man’s Sky』

Robbie Barrat氏は今回の裸体画の作成にあたって、Generative Adversarial Network (GAN)をを使用している。GANでは2つの競合するネットワークのトレーニングを同時に行う。裸婦画を例に挙げると、一方の「Generator」ネットワークが女性の裸婦画像の生成を学習し、もう片方の「Discriminator」ネットワークが画像を調べ裸の女性かどうかの判別を学習することになる。それを繰り返すことで、より精度を高めていくのだ。GANの発案者であるIan Goodfellow氏はこれを「贋作者と警察の攻防」になぞらえ「贋作者が本物そっくりの偽札をつくるのに対し、警察が偽物かどうか判別しようとするようなもの」と語っている(The Official NVIDIA Blog)。贋作づくりの才能と贋作を見破る才能の両方を同時にトレーニングしながら、より高度な贋作づくりと判別が可能になるというわけだ。

さてBarrat氏の画像だが、本人も「人間を腱や四肢がランダムに伸びてる肉塊としてただ描き出すだけ」と言及しているとおり、一見してわかるのはAIが人間の頭や手脚の役割はもちろん、正常な姿形をまだ認識できていないということだ。そこで思い出されるのは、2016年に放送されたNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」での出来事だ。番組内では、当時ドワンゴの会長でありスタジオジブリの社員でもあった川上量生氏が、人工知能で動きを学習させたCGを宮崎駿氏に披露した場面が放送され、話題となった。そこで川上氏は興味深いことを語っている。以下に、川上氏の発言の書き起こす。

[perfectpullquote align=”full” bordertop=”false” cite=”” link=”” color=”” class=”” size=””]「これは踊ってるように見えますけど、これは早く移動するって学習させたやつなんですね。これは頭を使って移動してるんですけど、基本、痛覚とかないし頭が大事という概念がないんで、頭を脚のように使って移動している。この動きが気持ち悪いんで、ゾンビゲームの動きに使えるんじゃないか。こういう人工知能を使うと、人間が想像できない気持ち悪い動きができるんじゃないか」[/perfectpullquote]

結果的に宮崎駿氏が怒りだした騒動ばかりが有名になってしまったが、ここでの川上氏の指摘は人工知能による自動生成の問題点を浮き彫りにしている。川上氏のCGもBarrat氏の裸体画も、AIが人間の骨格の存在や四肢の役割を全く理解していないという共通点をもっている。頭というパーツの役割さえ理解できないAIでは、“イケメン”や“美女”という概念が理解できないのも無理はないだろう。逆にいえば、人体のパーツの役割を理解できないAIが人間を描画すると、人間にとっては生理的嫌悪感を催してしまうことになる。宮崎氏が川上氏のCGを見て「極めて不愉快」と怒るのも、我々がBarrat氏の画像を忌避したくなるのも無理もないことだ。これはCGがもたらした「第2の不気味の谷」といえるかもしれない。「第2の不気味の谷」を超えない限り、AIによる自動生成画像は川上氏の指摘どおり、ゾンビゲームぐらいしか使い道がないのかもしれない。ではAIは、人を感動させるような美しいものを描けないのだろうか。

Barrat氏のAIが描いた風景画を目にすると、AIが生み出す画像へのイメージが変わるかもしれない。そこにAIが描き出した風景は、一見して印象派絵画にしかみえない美しいものだ。素養のない人が見れば、モネの絵画だと偽っても信じてしまうだろう。かつてBarrat氏は「ニューラルネットが描く絵は訓練されるにつれてより暗く忌まわしい絵を描き続けるようになった」と嘆いていたが、数日後には真逆の明るく美しい絵が描かれるようになったのだそうだ。数日で問題を克服してしまうのが、AIの利点といえるだろう。

AIが描く風景画を人間が不気味だと感じないのは、「描かれているのが生物ではないから」というのも大きな要因だろう。CGの風景に「不気味の谷」が存在しなかったように、「第2の不気味の谷」といえるようなAI描画の不自然さも、風景描写には起こりにくいのではないだろうか。弊誌で過去にお伝えしたように、Ubisoftではディープラーニングを用いた3D地形モデル生成の研究が既に行われている(関連記事)。AIは今後、風景といった利用可能な分野から徐々にゲームに革新をもたらしていくことになるかもしれない。現在のフォトリアルなCGが「不気味の谷」を徐々に駆逐していったように、いつの日かAIがイケメンや美女を描き出すことに期待したい。

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ゲーム世界の散策とスクリーンショット撮影を趣味にしています。コア、カジュアルを問わず、ハードルが低く奥が深いゲームに惹かれます。