「博物館化していくゲームセンター」 特別編 後編

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Game in えびせん

2006年、江古田にオープンして今年で10周年。シューティングゲームで数多くのスコアラーたちを輩出し、アーケードゲーム専門誌『アルカディア』(エンターブレイン刊、現在は休刊中)でのハイスコア集計店としても知られる。ネット配信「えびせんTV」を通じてハイスコア文化の近況を視聴者に伝える動きや、スコアラーたちがスーパープレイを披露する「わっしょい!」の運営協力など、海老原店長の活動は多岐にわたる。

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ゲームは遊ばれるものであるという基本

――取材のお願いを申し入れた際に「博物館化していくことについて、ある種のアレルギーのようなものを感じている」と仰っていましたが、それはどのようなものでしょうか?

海老原氏:
博物館や科学館でのゲーム展や個人経営のお店が増えてるのはぜんぜんアリだと思います。でもこの先、文化価値がついてガラスケースの中に入れられてしまうのではと考えると、ゲームとしてあるべき姿じゃないって思うんですよ。壊れて修理する部品がなくなって廃棄っていうことになっても、そのほうがゲームとして本望だと思うんです。それこそ化石のように展示されるっていうことに対してものすごい違和感がありますね。遊ばれてこそのゲームなので、保護されるっていうのは嫌なんです。

 
――では、ゲームが文化として見られていくことについてはどのように思われているのでしょうか?

海老原氏:
そんな高尚なものじゃないと思うんですよね。なにをもって文化とするのかがすごく難しいことだと思うんですけど、娯楽産業って衣食住に直接関わらないので“なくてもいいもの”なんですよね。人間が生きていくにあたってゲームなんて別になくてもいい、だけどあると楽しくなったりとか生活が豊かになったりっていう意味でプラスとなるのは間違いないんです。だけど“ゲームに文化的な価値”って言われると「うーん……」というか。僕自身、ゲームに価値があるということは信じて疑わないんですが、文化であるから保護しなければいけないっていうのは本当に危険だと思うんです。自分の好きなものが認められてないっていうことってすごく苦痛で「自分が好きなものは価値がある」って思いたいというその先に「文化として残す」っていうのは順番として少し違うんじゃないかなって思うんです。

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ビルの一室にズラリと置かれた約20台の汎用筐体(アストロシティ)にはシューティングゲームやパズルゲームが稼働。ゲームの入れ替えリクエストにも応えてくれるため、ハイスコアラーのみならずカジュアルなプレイヤーにも親しまれている。

 

懐かしさはいずれ飽きられる

――たとえばの話ですが、いままで人気のなかったゲームにいきなり火が付いたり、それこそ予期せぬタイトルでのハイスコア更新といった未知数はゲームセンターにまだあると思います。

海老原氏:
そうそう。たまに意味のわからない何かがあるんですよね。以前稼動してたころはぜんぜん見向きもしなかったのに、なぜかいまになってみんなやってるみたいな。その何かっていうのはわからない、それこそゲーセンならではのものなんですよ。でもこれから先、ノスタルジックなものに関して人はあんまりお金を払わないんじゃないかなって思うんですよ。結局は「懐かしいね」で終わってしまうので。

 
――ここ最近の流れは懐古になりつつあるなと個人的には思っているところで、でもそれだけだと結局は飽きられてしまいますよね。

海老原氏:
これから先、少なくとも発展はないんですよ。めちゃくちゃ運がよくて現状維持。ちょっとでも運が悪かったら死ぬだけで、追い風なんてもう吹かないですね(笑)。東日本大震災や消費税の増税を乗り越えた方々って、もはやこれ以外の生き方を知らないんじゃないかなって思うんです。完全にふるいにかけられた「本物」しか残ってない。金儲けではなく“俺の血だったらいくらでも流してやるよ”っていう覚悟が決まっちゃってる人たちばかりだと思いますよ。

 
――「えびせん」といえばやはりスコアラーたちのお店というイメージがありますが、そうした背景にはどのようなものがあったのでしょうか?

海老原氏:
オープンしたての2006年ごろってハイスコア集計店が本当に少なくなってきている時期だったんですよ。スコアラーって基板と筐体があってもダメな人種だから、ゲーセンにゲームがあってもスコアアタックにならないっていうものがほぼすべてで。レギュレーションがあるうえで殴り合うとしたら勝つための設備がいるんですよ。連射装置や同時押し、さらに言えば録画できたほうがいいとか。そういった意味でスコアタしたくてもできないっていう環境に置かれた人たちがいたんです。俺が思っていたよりもスコア争いに飢えてる奴らが日本全国にいましたし、身近なところだけでも何人かいたので、そういう方々が常連となってくれました。ひと言でいえば運がいいんです。

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連射装置だけではなく攻略パターンを研究できるように録画装置も完備されていることも、えびせんがスコアラーたちに支えられているポイントのひとつ。

 

後世につなげるための期待と不安

――古いゲームよりもゲーセン文化を残そうと思われたことはありますか?

海老原氏:
どこでも言われてる高齢化社会っていうのは絶対に払拭できないですね。一時期は若い子にスコアへの興味を持ってほしいということで「わっしょい!」含めていろいろと動いてた時期はあるんですが、次に繋げるっていうのは常に難しい。後進の子がどこまでの覚悟を決めてるかなんてわからないんです。目標があるなら当然やるべきことだろっていうことを言って「えぇ……」って引かれると、おいちょっと待てみたいな。でもしょうがない。それをもってして「若い子が~」って言うのは間違ってる。そういうことに関しては自戒の念も込めて俺が老害なのかなって常に思うようにはしてる。若い子と接するっていうのはそれぐらい緊張感があって怖い。

 
――ハイスコア界の門を叩く若手プレイヤーがこの時代でもまだいるということに驚かされます。

海老原氏:
なんでこの時代にいるのかっていうのを解明することが未来につながるんじゃないかなと思ってみんなで考えたことがあったんですが、ただの突然変異でしたね(笑)。当時のスコアラーの頭がおかしかったように、新規スコアラーの頭もおかしかったっていうだけで話が落ち着いちゃいました。

 
――TwitterをはじめとするSNSや、ニコニコ動画やYouTubeといった動画サイトなど、ネットだからこそ得られた恩恵などはありますか?

海老原氏:
いままでは興味を持った人たちがゲームセンターで実際に人間と触れ合って学んでいくっていうのが、いまだとネットで触れ合ってワンクッション置いてからのゲームセンターなんですよね。ネットっていうものが出てきて、「このゲームを初めて見た」っていう人たちに対して配慮してるコミュニティもあるんですよ。次の世代に残すっていうことを意識してる人たちがいるっていうのはいいですよね。

 
――気軽に遊べるゲームがなくなったことでゲーセンから離れていったという人もいるようですが?

海老原氏:
楽しむためにある程度のお勉強が必要っていうのは娯楽としてあり得ないですよね。有無を言わさずに面白くないといけないし、最近はすべてのジャンルでお勉強が必要になってるのかなと思います。でもしょうがないのかなって反面、それを認めちゃったら未来が本当にないんですよね。なんとなくボタン押してるだけで楽しいってゲームいまは少ない気がするので、最大のネックはそこだと思いますよ。

自身もプレイヤーとして活躍している海老原氏だが、えびせんでの営業を通じてひとつわかったことがあるという。最後にそちらをご紹介して本インタビューの締めくくりとする。

海老原氏:
こう言ってしまうと身も蓋もないかもしれないけど、ゲームそのものよりもゲームをやっている人が好きなんだなってわりとここ数年で思ったんです。プレイヤーに尽くしたくてしょうがないっていう。自分自身もずっとプレイヤーでありたいっていうのはあるんだけど、彼らにスポットライトを当てることのほうが役目かなってすごく感じます。彼らに光を当ててるからこそ得られる情報にしびれるんです。

カウンターの後ろにはハイスコアボードが設置され、名立たるスコアラーたちの激戦が残されている。「これ以上スコアが伸びることはない」と突き詰められたタイトルでも、突如として新たなハイスコアが生まれる瞬間も少なくないという。
カウンターの後ろにはハイスコアボードが設置され、名立たるスコアラーたちの激戦が残されている。「これ以上スコアが伸びることはない」と突き詰められたタイトルでも、突如として新たなハイスコアが生まれる瞬間も少なくないという。

メーカーが発表する新作ゲームも90年代に比べると大幅に減少し、価格の高騰も進んだことによって中小店舗では導入が厳しい現状となっている。各社の怒涛とも思える新作のリリースはいまよりも店舗での稼動サイクルを必然的に早めることになり、プレイヤーからすれば骨の髄までしゃぶり尽くせるほど遊びきれなかったものも少なくはない。

だからこそ、販売ラッシュの渦中にあったゲームをいまでも稼動している店舗では時間をかけて遊ばれることがなかったからこそ「懐かしさ」だけではないものを新旧のプレイヤーが次々と生み出している。

格闘ゲームでは新たな連続技の発覚によって対人戦での幅が広がり、シューティングゲームやアクションゲームにおいては新たなパターンが構築されたことでハイスコアの更新につながっている。業界を後押しする「追い風」がふたたび吹くことを願うよりも、こうした「新たな発見」によって心が強く揺さぶられるのを求めていたことにふと気づかされる。

「人が集まる“風俗”としての一面」があることは第三部の冒頭でも書いたとおりだが、どれだけ楽しい思いをしても時計の針が0時を指すまでの物語であり、それはまるで『シンデレラ』のような儚さがある。ゲーム以外の娯楽が生活に多く溢れているなか、それでもゲームセンターという場所にこだわってしまうのは、魔法が解けるまではプレイヤー誰もが主役になって夢中でいられるからなのかもしれない。

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