私(40歳)が中学生の時分、ちょっとタイムスリップに付き合って頂きたい。西暦でいうと1989年から1991年の、年号が平成に変わったばかりのころ。当時、クラスの男子全員――ボンタンのヤンキーにも、内向的なゲーム少年にも、ウォークマンでTMネットワークばっかり聴いてるアイツにも、モテモテのサッカー部のエースにも……クラスタを超えた共通言語が2つあった。1つがフリーザやDIOが同じ号に掲載されていたという黄金期の週刊少年ジャンプ。そしてもう1つがもちろん、ゲームである。

私は小学生の時から、クラスに数人は必ずいた、やかましい系男子で、そのまま中学生になっていった。こういった男はたいてい中学校へ進学するとヤンキーになるのだが、私の場合は小学生のメンタリティのまんま中学生になってしまったような少年だった。体はあまり丈夫な方では無かったため、必然的にゲーム、漫画に費やす時間が多くなった。ただ転校が多かったこともあり、友人を作る能力はそれなりだったと思う。だから交友のある人間はゲーマー、ヤンキー、スポーツ野郎などバラエティに富んでいた。学校からの帰り道に、学ランのままスーパーファミコンを所有していたクラスで一番のゲーム仲間の家へ寄っていくことも多かった。当時、スーパーファミコンはすでにリリースされていたものの、中学生だとクラスに所有者はせいぜい数人、まだまだファミリーコンピュータが現役だった。そのゲーム仲間の家に行っては、演出が劇的に進化した『ファイナルファンタジー4』や、滑らかに、かつ超絶スピードで2Dを走りまくる『F-ZERO』に感動した。当時ゲームを遊ぶといったら、このような家庭用ゲーム機か、登場して間もなかったゲームボーイという初の携帯ゲーム機で。あるいはゲームセンターだった。

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当時のゲーセンとは、まだまだワルそうな奴らが闊歩する光景が多い場所で、私もゲーム仲間と行くこともあれば、ヤンキーの友達と行くこともあり、また夕方以降になると部活帰りのヤツらが寄ってきたものだった。『グラディウス3』や『TATSUJIN』といった、難易度の高いゲームのコツについて、ヤンキーがひ弱なゲーム少年のアドバイスを聞きながら、時にはうまくいって歓び、時には容赦のないゲームオーバーに「オドレの教え方が悪いんじゃ」と八つ当たり、なんて光景が日常茶飯事だった。そんなゲーセンにおいて、忘れられないゲームが1つある。『ファイナルファイト』だ。

※画像はWii Uバーチャルコンソール版です(images by 任天堂

『ファイナルファイト』は年号が昭和から平成に変わったばかりの1989年にアーケード向けにリリースされたベルトスクロールアクションゲームである(翌年スーパーファミコン、その後GBAやPS2など、さまざまなプラットフォームで移植)。私が中学2年生であった1990年暮れにはスーパーファミコンに移植されたが、こちらには2Pモードが搭載されていない。なによりも、当時のゲーセンのあの高揚感、緊張感を求めて、私はもっぱらアーケード版をプレイしていた。2Pモードで「俺コーディな」「そんならオレはガイやるわ」と、野郎2人で共に街にはびこるワルどもと戦い、初心者殺しで有名であった2面のソドムで何枚もコインを投入。シンプルな操作性で、ビシバシと小気味良い効果音と共にワルどもをやっつけていく爽快感は、当時格別なものがあった。前述の『ファイナルファンタジー』など、今でも続編が出るようなジャンルはこの頃すでに概ね確立していた感があったが、ベルトスクロールという時代の流れと共に廃れ、後に3Dアクションへとシフトしていったジャンル、という意味でも私にとっての『ファイナルファイト』の思い出は深い。

【UPDATE 2017/02/20 9:40】 記事初版、「3面のソドム」と記載しておりましたが、正しくは「2面のソドム」でした。訂正しお詫び申し上げます。

 

ファイナルファイトは世代を超えられるか

そんな中学生も年は取る。いつしか私も40歳になり、当時から20年以上のもの歳月が流れたが、形態や環境は変われどいまだにゲームは遊んでいる。どんなゲームプレイの足跡だったかはここでは割愛させて頂くが、基本的には最新のもの、旬なもの(直近では『Starbound』など)を楽しんでいる。当然、ゲームだけをしているわけではなく、仕事にいそしみ、女性との出会もあり、そして子供も授かった。

息子(10歳)は今や小学5年生の少年で、誰に似たのか、なかなかのゲーマーっぷりで、ここ何年も『マインクラフト』を友人とボイスチャットしながら楽しみ、最近ではその友人たちとFPSも楽しんでいるという。もうニンテンドー3DSにもコンシューマーゲーム機にもあまり興味はなく、ひたすらPCゲームに没頭し、またその実況動画をYoutubeにアップしていたりもする。大したデジタルネイティブ世代である。

『マインクラフト』

年末休みに一緒にTVを観たり、いつものように『マイクラ』を遊んでいる息子をみながら、ふと思った。彼は我々と同様の感覚でゲームを楽しんでいるのだろう?当時のゲームをプレイしたら、同様の感動を得られるのだろうか?

40歳になった今でも鮮明に思い出す。ゲーセンで『ファイナルファイト』を遊んでいた当時の私は、(今でも同様のプレイスタイルだが)ゲームの中にドップリと入り込む傾向にあり、プレイ中は完全に「街と恋人を救う英雄」気取りであった。パンチ、キックの一発にはそれぞれに思いが込められているし、「ヘッヘッヘー野郎どもやっちまえ!」「おめーも随分命知らずだなあ!」という風に、ワルどものセリフを脳内で妄想していた。掃除の時間に級友たちと、いわゆるごっこ遊びにいそしみ、脳内ではTシャツ、ジーンズのコーディーやハダカにサスペンダーなハガーになりきって、「デヤアア」と投げ飛ばしたり「オオオ!」とラリアットしてみて、当然掃除は全然進まず、なんて時間を楽しんでいた。今だってコントローラーを握れば、当時のメンタリティに戻ってプレイしてしまう。

だが、淡々と作るものに必要な材料数を計算したり、ボス攻略法をSkypeで冷静に友人達とコミュニケーションをとりながら『マイクラ』を遊んでいる息子は、そんなノリについていけるのだろうか。主人公になりきって英雄な自分に陶酔できるのか。私は王道なコーディーやパワフルなハガーを好んで選ぶが、息子はやはりスタイリッシュなガイを選ぶのか。プレイ後「オオオ!」と叫びながらクルクルしたくなるのか。ソドムとそのステージの異様なデザインに笑いながらも、その数秒後に戦慄できるのか。

私は息子と『ファイナルファイト』をプレイするために、PS2とカプコンクラシックスコレクションを友人から借りることにした。

 

無限コンティニューが生み出す儚さ

今回のプレイ環境について。息子の雑多とした部屋にて、もっともアーケード版に近しいと言われるPS2「カプコンクラシックスコレクション」に収録されている『ファイナルファイト』を使用した。せっかくなので親子共同プレイで挑んだ。

非常にシンプルな操作方法のタイトルゆえ、簡単なポイントだけ伝えるだけで、息子はすんなりプレイすることが出来た。 「基本的に、攻撃ボタンとジャンプだけで進められるから」「あ、ホントだ簡単だこれ」進めながら、敵に囲まれたり、ハメられそうな状況が多くなってきたので、「方向キーを入れながら攻撃で投げれるよ」「攻撃とジャンプボタン同時押しで特殊技出るけど、ライフ減るからここぞ!って時に使いなよ」などアドバイスをしながら。あとはその場その場で「右任せる、俺は左やるわ」「縦の軸で近づけばやられにくいよ」など連携をとったり、アドバイスしたり。多少の戸惑いはありながらも、息子は「へえなるほど」とサクサクと習得した。

2面ソドム戦に挑むにあたり、私は一定の緊張と戦慄を感じていたが、場が緊迫したのは私が「武器は取るなよ!タックル食らうから」という必死のアドバイスを発した時ぐらいで、わりとアッサリ倒してしまった。とはいえ2人合わせて数回の全滅&コンティニューもあり、私の中では「オッシャ!」感があったのだが、息子は眉一つ動かさず、「さ、次のステージ次のステージ」という雰囲気であった……。私が次の難関だと思ってるアンドレ兄弟戦も、2人プレイということもあるし、上記と同じくコンティニューゴリ押しプレイでサクサク進んでしまった。

あとはその場その場で「右任せる、俺は左やるわ」「縦の軸で近づけばやられにくいよ」など連携をとったり、アドバイスしたり。結果、ざっと30分強ほどで最終ステージもクリア、エンディングまでかこつけてしまった。恐らくアーケードであれば合計数千円はつぎ込んだコンティニュー回数だった。エンディングでは街に平和が戻り、恋人も無事に救出され、私の脳内英雄妄想もここで一旦完結出来るのであるが、一方で息子の表情は特に変化なく、「こんなゲームだったんだね、なるほどね」程度の空気感であった。

 

博物館的体験

 下、多少ネガティブな文章が続くが、「本来アーケードで楽しむべきタイトルを移植版でプレイした」「約25年前の作品である」ことを踏まえて寛大に捉えて頂きたい。当初の想定では、プレイ後、息子が一定の感動と共にいろんなコメントをすることになっていたが、予想に反し何も言葉を発しないため、やむなくいくつかの質問を息子にぶつけ、その回答から息子が何を感じたかを探ることにした。

私「印象に残ったキャラはいる?」
息子「うーん……(強いていうなら、という感じで赤くてデカいやつ(アンドレ)」
私「刀持ってたボス(ソドム)は?」
息子「あ、あいつも強かったね。あと車いすのやつ(ラスボス)」

90年代のカプコンのケレン味溢れるキャラ造形は、小学5年製にもわかりやすかったのかもしれない。

私「当時は殴ったり蹴ったりのレスポンスとか、音とかが心地よかったんだけど、それは感じた?」
息子「いや、別に」

最新の『スーパーマリオブラザーズ』シリーズ、直近ではFPSもプレイ済みの息子にとっては、アクションの心地よさについては、流石に最新のタイトルには及ばない模様だ。

私「特にやりこみ要素とか、成長要素があるわけじゃないけど、またプレイしたいと思う?」
息子「いや、クリアしたしもういいかな」

息子のプレイ遍歴にも起因すると思うが、当時のアーケードならではの高難易度アクションは、数十時間から数百時間を要して遊び続ける最近のタイトルに慣れている世代にはあまり琴線に触れなかったようだ。

私「当時、父さん達の世代は、ゲーセンでこのゲームにコインを投入しまくって遊んだものだけど、今ゲーセンに同じようなゲームがあったら、どう?」
息子「多分そんなにハマらないか、クリア出来たらもうやらないと思う。」

特にこの会話が決定打となり、何かこう息子との距離を感じてしまい、これ以上の会話をすることに恐怖を感じ、息子とのセッションは終了した。プレイ後の空気感や、会話の流れから分かったことは、「息子には特段感じさせるものがさほど無かった」という一種の寂しさ、虚無感だった。

息子のゲーム経験は少し偏っており、小学2年生ぐらいまではニンテンドー3DSをメインに『スーパーマリオブラザーズ』シリーズや『妖怪ウォッチ』などをプレイしていたが、小学3年生ごろに私が貸したMacbook Airで『マインクラフト』に没頭した。現在でも昨年新たに買い与えたゲーム用PCを使い、対戦Modなどを導入した『マインクラフト』や『Terraria』をプレイしたりと、PCゲームをガッツリ遊んでいる。

前述のとおり、長時間のプレイを前提とした昨今のゲームを楽しんでいるこの少年には、そもそも当時の「短時間でサクっと遊ぶ」プレイスタイルは合わなかったのかもしれない。思えば、説明書を読まず、親切なチュートリアルで序盤のプレイ時間を費やし、進行や攻略に詰まることがあればWikiで調べる、というゲーム体験がいつの間にかメインストリームへとなっていった。いつからか、パッケージで世界観を感じ、説明書でプレイ方法やコツなどを身につけ、バランス難な箇所をシンプルに「難しいところ」と位置づけて何度も挑む、ということをしなくなった。時間の経過とともに、ゲームは最新技術の恩恵を受け進化しながら、プレイ体験も大きく変わったことをあらためて考えさせられた。『ファイナルファイト』は、息子にとっては、いわばゲーム博物館的な体験に過ぎなかったのか、と。

 

“8bit風”

今後も時間の経過や感性の差異については、もう少し深掘りしたい。前述の通り、今回は『ファイナルファイト』をプレイするために用意したのは「カプコンクラシックスコレクション」である。このソフトにはカプコンの歴史を語る上でかかせないタイトルが実に22タイトルも収録されている。『ファイナルファイト』を共同プレイする前後でも、息子は『ファイナルファイト』以外のタイトルにも興味が沸いたようで、いくつかプレイしていた。その中の一つが、これまた名作である『魔界村』シリーズ。私はある程度グラフィックも進化し、プレイしやすくなっている『超魔界村』を息子にオススメしたため、息子は『超魔界村』『大魔界村』『魔界村』と時代を逆行する順番でプレイしていった(当然、どれも序盤早々にクリアを断念していたことは想像に難くないと思う)。この3つ目、つまり初代『魔界村』をプレイした息子から、衝撃的な言葉が出た。

息子「これ、8bit風のグラフィックにしてるんだね」

いやいや息子よ、それは初代ファミコン時代のタイトルだからそりゃそうだよ、「してる」んじゃなくて「当時の仕様、限界」だよ、と即座に返したかった。が、同時にハっとするものがあった。一周回って「8bit風デザイン」を取り入れているタイトルが多い現在において、ゲームウォッチ時代からのゲームの進化を知っている我々世代とは違い、すでに物心付いたときからフォトライクなゲームを知っている世代にとっては、「8bit」は「レトロなゲーム感のリブート」ではなく、「よく見るの表現手法の一つ」でしかない、ということになる。

この一言で、私と息子のゲームにおける感性の差は、いかんともし難いことを実感させられた。先に残酷な結論から言ってしまうと、「おそらく多くのゲームで、我々と息子達の世代では、プレイフィールが根底から全く違う」ということだ。

 

オッサンの夢、潰えるのか

今回の試みで、私は残酷ながらも「オッサン達が当時味わった感動を、何分の一でも良いから共有することが出来るのか?」という掲げた命題については、「無理でした」という結論をもって、一定の敗北感を感じてしまった。しかし諦めの悪い私は、「いや何か息子のツボにハマるゲームがあるはず」と、次にぶつけるタイトルを探しつつ計画を練っているのである。

 

※「Gamer Pick」は、ゲームをプレイするプレイヤー側にフォーカスする連載企画。なぜゲームを楽しんでいるのか、なぜゲームをやり込むのか、なぜゲームをプレイしたのか。ゲームに取り組むプレイヤーたちの姿を、インタビューやコラムを通じて伝えていく。

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