Forgotten』は、itch.ioにて公開されている非常に小粒なADVゲームで、90年代前半ふうのBIOS起動画面からスタートする。本稿の冒頭に貼っておいたリンクをたどればすぐに遊ぶことができるので、軽く触ってもらうのがいちばんいいだろう。さて、このゲームをどう言い表すべきだろう? バグったゲームを調査するという点では『Pony Island』、ゲームのなかの虚構世界そのものが崩壊しかかっているという点では『Continue? 9876543210』を親戚に挙げられるかもしれない。

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本作で実行可能なインタラクティビティは、四つの……存在としか言い表しようのないものとの会話である。彼らはみな、この世界において「優れたもの」として生まれたが、いまは世界の崩壊とともに存在することを終えようとしつつある。つまり、彼らは彼らの属している世界の成り立ちをいくばくか解明してしまった非造物であって、この終わりかけた世界に、プレイヤーであるあなたがやってくるわけだ。

「名前を知らせることはあまりに意味深い。ここでのルールを学びたまえ。もしも誰かがあなたの名前を知れば、その誰かは、あなたを操ることができる」。とある存在はプレイヤーにこんな警告をする。我々の世界のある種の神学においては、私たちひとりひとりには本当の名前とでも言うべきものがあって、いまは鏡を通してその反映が現れているだけなのだが、最後の審判の日においては本当の名前が明らかにされ、それをもとに神の審問が行われる、という逸話がある。この世界に登場する存在たちは、口々に「hex」という高次の存在について話をするが、筆者にとってはどうもこれが「YHVH」の類型であるように思われてならない。

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「名前はただの名前ではない。それはおまえだ。それはお前が何者であるかだ。それはお前のすべてだ。名前は、おまえを呼び寄せるものだ。hexが海、大地を、生をむさぼり食ったところの理由、それが名前だ。それはおまえすらをも食い散らかし、がらくたに変え、いまおまえは好奇心に満ちた操り人形のようにここにいる。」あるいは、これはプログラミングの暗喩なのかもしれない。オブジェクトを指定するために必要不可欠なものは、とりもなおさずそのオブジェクトの名前である。

また、べつの存在は「がらくた」、つまり「junk」について語る。「もしあなたがjunkに触れれば、あなたはjunkの一部となる」とその存在は言う。ところで、彼らはどうもプレイヤーキャラクターのことを知っているようなのだが、しかし彼らが知っている姿とは微妙に異なっているらしい。あるものはプレイヤーキャラクターのいまの姿に怯え、あるものは大笑いする。すべての存在との対話は、プレイヤー自身すら意識していない、プレイヤーキャラクターの攻撃による唐突な殺害によって終了する。ここから考えられるのは、プレイヤーキャラクターがすでに「hex」ないしは「junk」に取り込まれてしまっているということだ。

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プレイヤーの手によって殺害されたあとの存在たちは、死骸ではなく、単純にグリッチを起こしたような絵に変わってしまう。注意しておかなければならないのは、もしもこれが「ゲーム的」に死ぬことを表現したものだったらば、血が流れたり、首が飛んだりしていたはずだ、ということだ。さらに攻撃を加えようとすると、「ERROR_NO_TARGET」という文字が表示される。つまり、オブジェクトの状態が死となったわけではなく、オブジェクトから名前が失われてしまうのである。

このプレイヤーキャラクターの挙動は、自分自身の行動に無自覚な神として、やはり『Continue? 9876543210』に登場する「ガーベイジコレクター」を連想させるものがある。『Pony Island』に登場するサタンは、似たような目的を持ってはいたが、悪の反映を理性的に望んでいた。本作のプレイヤーキャラクターの態度は、過去のことをまったく覚えていない狂った神のそれであり、この状態は本作に触れるプレイヤー自身の精神状態とリンクするものがある。DELキーを押すことによって回覧できるBIOSの日付は1992年、何らかのエラーによってBIOSの読み込みが停止したことを告げる「Halt On : Disabled」の表示ののち、再起動が行われる。私たちは1992年に起こったことなど、何ひとつ覚えていない。

ちなみに、この画面で言及されているSeagate製のハードディスクは、90年代に発売された容量1GBのもののようだ。
ちなみに、この画面で言及されているSeagate製のハードディスクは、90年代に発売された容量1GBのもののようだ。

私たちは自分たちが生きている世界の企図が何であるかを知らないが、本作のなかで描かれる虚構世界もほとんど同様の状態にある。指摘しておきたいのは、このような虚構世界を描くことによって、私たち自身の世界の把握にフィードバックが行われることの大切さである。この小粒ながら考えさせられるところのある作品を誰に勧めたものかわからないが、もしもあなたが研究に行き詰まった哲学者ならば、とりあえず触っておくべきだろう。なにがきっかけで世界を把握することになるのかは、誰にもわからないわけだから。