情報の初出から数えて約12年の歳月を経て発売されたアクションRPG『仁王』。このゲームは「戦国死にゲー」という言葉で表現されることが多い。それは決して間違いではなく、「高難易度、かつ死んで覚えるパターン構築ゲーム」という形式で語られること自体を否定はしない。しかし、今作がシステム面で大きな影響を受けている『SOUL』シリーズ自体が、「死にゲー」という一種の様式としての代表作と捉えられている面からか、まるで『仁王』が戦国版『DARKSOULS』であるかのように言及されてしまうことには、多少の違和感を覚える。なぜなら、そもそも「高難易度で死んで覚えることが必要なゲーム」自体は、アクションゲームのフォーマットとして典型的ともいえるほど散見される形式であり、「死にゲー」というジャンル自体は『SOUL』シリーズの専売ではないからだ。

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『仁王』を構成する遺伝子

実際の話、『仁王』と『SOUL』シリーズを比べてみると、レベルシステムの類似点はあるものの、シームレスで進行の自由度を優先した『SOUL』シリーズのそれに対して、『仁王』が採用している極めてリニアに進むステージ制デザインはまったく異なる。探索をさせるよりも進行のスムーズさを優先させたマップ構造など、実は意図的に似せていない部分が非常に多い。さらに『SOUL』シリーズが、システム上「攻略組」と「進入組」との対立軸をある程度故意にゲーム進行に盛り込んでいるのに対し、『仁王』ではCOOPシステムも、新たに実装された対戦システムもプレイヤーの任意性に委ねられている。

つまり、『SOUL』シリーズを長くプレイする場合には他のプレイヤーとマッチングしやすいレベル帯で止めておくという「他者との相対性」の発想が必要となっていくのに対し、『仁王』が指向するのはあくまでも「自己の絶対性」なのである。他者の介在なしでシングルプレイをどこまで突き詰めていけるのかだけを考えればよいという分かりやすさだ。『仁王』というゲームが実に興味深いのは、現代的なマルチプレイ体験を必要最低限まで削った上で、長いあいだ和ゲーに求められ続けたボリューム感をこれでもかといわんばかりに詰め込んで成功したという点だろう。そこに用意されているのはクリア後が本番と言えるほどの濃密なやりこみ要素の数々だ。強者の道、神器武器開放、ハックアンドスラッシュ形式の装備収集とその強化、精霊強化、武功システムや追加されるサブミッション。姿写しのアンロック。もちろん主人公自身のパラメーターの強化はそのまま継続されるという育成要素の徹底ぶりは、シングルプレイが軸であるからこそ追求可能な圧倒的なものあり、それでいてマルチプレイでの稼ぎ要素が不要になることもない絶妙なバランスがとられている。

その発想一つ一つにそこまでの目新しさは感じられないものの、新しい発想や世界の広がりだけが重要視されてきた昨今のゲーム制作の風潮の中、12年間のアクションゲームの趨勢の中から「古くても良い部分」を可能な限り抽出してきた上でそれを結晶化させている。各人のゲームプレイの傾向如何に関わらず、全員がどこか既視感を覚える風格を備えたこの作品は、総合的に考えれば『仁王』という名のオリジナリティを備えた非常に完成度高いアクションRPGの大作として認知されるべきものなのだろう。

 

自社IPのカウンターとしての「戦国」視点

見逃しがちだが重要なのは、『仁王』というゲームがただ優れたゲームデザインで作られた作品であるという点だけでなく、「戦国死にゲー」の戦国という部分の切り取り方が実はかなり挑戦的であるということだろう。このゲームを論ずる時、その要素は外せないものだ。

「コーエーテクモゲームス」は言わずと知れた歴史ゲームのパイオニアであり、『信長の野望』『三国志』などの歴史シミュレーションはもとより、一騎当千アクションゲームというジャンルを切り拓いた『戦国無双』『真三国無双』シリーズというIPを通じて広く知られている。『仁王』では、それらのIPではその性質を表現できない、「歴史の横軸」を切り取るという新鮮な手法を用いて戦国を見事に描き出している。

『信長の野望』や『戦国無双』は、戦国大名やその勢力、あるいは武将の戦いの軌跡を描き出すこと自体がゲームの本質である。たとえば『戦国無双』において織田信長という武将の人生を演出するのに必要な最小構成要素を例に挙げてみよう。「桶狭間の戦い」で今川義元を討ち取り、美濃攻略から上洛、浅井長政の裏切りからの「金ヶ崎撤退戦」、「長篠の戦い」で武田騎馬軍団を壊滅させたかと思えば、最後は「本能寺の変」にて没するなどなど、没年齢49歳までその全てが時系列どおりに構成されなければならない。あるいは戦国シミュレーション『信長の野望』は、一勢力が全国制覇をしていくというゲームルール上の性質上、時間の経過がどうしても密接する進行の要素であり、大前提として時間軸は直線的、かつ一定の歩調で過去から未来へ進んでいかなければならない訳だ。つまり『信長の野望』や『戦国無双』がゲームを通じて表現しているのは、歴史に関わる重要人物そのものであり、大局的な歴史・時代の推移ということになる。これは大河ドラマをイメージするとより分かりやすい歴史ドラマの表現方法であり、分類上は歴史小説風ということになる。

対して『仁王』は、プレイヤーキャラクターそのものの選別方法からその角度を異にする。主人公「ウィリアムアダムス(三浦按針)」は、歴史上その存在が確認できる実在の人物でありながら、時代そのものに大きな痕跡を残してはいない。関ヶ原の戦いの半年ほど前に日本に漂着し、徳川家康に仕えて外交使節としてのポジションで侍へと取り立てられた人物ではあるが、歴史上はあくまでも漂着の末に偶然辿りついた極東の国でその名を歴史に刻んだに過ぎない。『仁王』のウィリアムは「実は三浦按針は確固たる目的を持って日本にやってきていたのではないか」という歴史if的な側面を付与されており、その目的が『仁王』というゲームのメインストーリーになっている。

こういった「どこで何をしていても不思議ではないし、さほど歴史そのものに影響を与えない人物」というのは、時代小説の主人公になりやすい。たとえば、非常に多くの時代小説において主人公となり、山田風太郎の伝奇小説でもよく主人公として採用される「柳生十兵衛三厳」などは、1626年から約12年間のあいだ、どこで何をしていたかほとんど分かっていない。分からないからこそ何をしていても不思議ではない。そこに「歴史上の出来事の裏で暗躍する隻眼の剣士、柳生十兵衛」として重用しやすい一種の隙のようなものが生まれる。『仁王』の主人公ウィリアム・アダムスはそういった意味で、まさに歴史上の出来事の裏で意図を持って行動していても不思議ではない人物であり、そして彼の「異人の目」というフィルターは「異世界としての日本」の不可思議さ、あるいはある種の不気味さを際立たせると同時に、歴史へ対する必要以上の介入を避けることへの説得力になっている。物語の冒頭が「ロンドン塔」から始まる演出はそれをプレイヤーに意識させるための設計と考えてよいだろう。その人物がある目的を持って九州に漂着後、関ヶ原前夜の不穏な情勢下の日本を中国、近畿、東海と横に動きながら歴史に関わっていく訳だ。

主人公ウィリアム・アダムス(三浦按針)。史実では1620年平戸で没している

このゲームには「分霊」という、関わった人物の守護霊を自分に分けてもらうシステムがあるのだが、分霊時に当該人物の心中が守護霊と一緒にウィリアムに入ってくるという仕様が、実は『仁王』のストーリーの見せ方に大きく寄与している。たとえば九州では、黒田如水と関わりながら彼の心中でいまだ消えない野心の火と、同時に今後を次代に託す一種の諦観を垣間見ることができる。中国地方では、小早川秀秋の複雑な心の在り様が。関ヶ原の戦いの前哨戦であり、徳川家康が捨て駒にした伏見城の戦いの裏では、徳川家老臣である鳥居元忠が忠義を貫く気持ちが生々しく描かれている。関ヶ原の戦いでは、大谷刑部や島左近の義心を感じることができる。

鳥居元忠。家康旗下古参の猛将ではあるが、関ヶ原緒戦と言える伏見城の戦いにおける背水の死闘と壮絶な戦死を抜きに彼の名は後世に残らなかっただろう。ゲーム中彼がクローズアップされる場面は、時間軸を横に切り抜いた歴史の断層に着目した今作の演出が最も際立つ部分だ

関ヶ原前夜から関ヶ原直後にわたっての約半年のあいだに大きく関わった実在の人物や実際の出来事、その影に寄り添うように存在している主人公ウィリアムの視点は、大きく時代が動くその歴史の瞬間を切り抜いた「歴史の横顔」を巧みに表現している。歴史に関わる場所にいながら、実は歴史そのものには大きな影響力を持たない立ち位置に上手く収まりながら自分の目的達成のために動いていくウィリアム。彼は一面で『仁王』という伝奇ストーリーの主人公でありながら、戦国乱世の終焉地点としての関ヶ原の戦い前後の、歴史の狂言回しの役割を同時に担っている。

実は丁寧かつ確実に作られた基幹部分と同じように、『仁王』というゲームを底支えしているのは、時間的かつ空間的に歴史の断面を切り取る試みが破綻せずに機能している伝奇ストーリーである。戦国末期という時代背景的に、丸目長恵や宝蔵院胤栄などの剣豪や、マイナーながら織田信長の付き人であった黒人ヤスケの出演、最近は知名度が上がったが全国に鬼島津の勇名を轟かせた関ヶ原撤退戦を題材にしたエピソードなど、歴史好きが喜ぶであろう細かい部分もしっかりとカバーしている。

『戦国無双』や『信長の野望』が「時間の縦軸」で歴史を見せる「歴史小説」「大河ドラマ」的なものだとすれば、『仁王』は「時間の断面」で歴史を見せる「時代小説」的な試みであり、自社の別IPのカウンターとして今作品はその意味でも成功を収めているといっていい。縦で歴史を描くのと横で歴史を描くのでは、実はプレイヤーへ対して与える効果が全く違う。前者が歴史の流れの理解度を促進する機能を持つとすれば、後者はその時代の空気感、躍動感を表現するのに適している。『仁王』ではそのために主人公の設定が用意され、魑魅魍魎と戦う伝奇ストーリーにも関わらずしっかりと手を抜かない歴史考証ができており、それに縛られない世界観は全体を通して隙がなく高レベルに構築されている。サブミッションも含めてシナリオ全体がコンセプト通りに表現することは一見簡単そうだが、フィクションでありながら油断なく史実を絡めたこの物語全体から見てとれる奇跡的なバランス感覚は、数多くの戦国ゲームを世に送り出してきた会社だからこそのものだと思わせるほど見事な出来栄えだ。『仁王』はその意味で今後さらに評価が高まるべきタイトルの一つだと言って過言ではないし、少なくとも「死にゲー」という俗称に惑わされて戦国、歴史好きゲーマーが忌避するべきではないことは断言できる。

 

結びに

『仁王』の「歴史を横に切り取る」というコンセプトは「時間」「空間」どちらにも当てはまる。ウィリアムアダムスの旅は九州の隅から始まり、最東端で東海地方までその足を伸ばして終焉を迎えたが、日本の端は東海地方ではない。戦国時代の最末期の日本をきっちりとカバーする為にDLCは存在するのだろう。先日配信開始された第一弾「東北の龍」で東北は踏破可能になった。
本編の後日談として描かれる、彼の日本を巡る長い旅は、これで残り2つのDLCを残すのみとなった。残りの物語の中、彼がどんな理由でどの場所で戦い、どんな戦国末期の歴史的事象が描かれることになるのかははっきりとしたことは言えないが、少なくとも全てにおいてプレイヤーひとりひとりの手の中に色彩豊かな「戦国」の強烈な残像と、その残り香を残すであろうということだけは担保してもよいのだろう。

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