人間の五感が外界から受け取る情報についてまことしやかに流れている説に、「視覚情報の優位性」というものがある。人が日常的に処理している感覚作用の80から90パーセントが、「視覚」からの情報であるとする説だ。これはいかに人間が視覚的情報の影響を受けやすいかという傍証として、意外なほどに一般論とされている。実際のところ、この説の根拠は40年以上前の書籍に記載されている数値だけであり、論拠が薄すぎるため、いわゆる風説にとどまるものだと考えるのが正しい。しかし逆説的に言えば、こういった確証をもたない風説が一般論と化してしまうほどに、人間の日々における「視る」という行為は肌感覚として強烈な意味を持っているのだろう。

体験版の内容を紹介した際にも書いたが、『死印』というゲームの根幹について論じる時に、「アートワークの持つインパクト」の話を外すことはできない。ホラーゲームにとって、アートワークが他ジャンルのゲームより比較的重要な意味を持つというのは当然ではあるにせよ、『死印』はアートワークそのものがゲーム自体を牽引している、少し珍しいタイプのホラーADVといえる。まさに「視覚情報の優位性」に重きを置いたゲームの一つの在り方だ。同じエンタテイメントでも、読み手の想像力を喚起する描写に頼らざるを得ないホラー小説などは、万人に同等の視覚イメージを植え付けることは困難ながら、書き手の描写と読み手の感性の噛み合い方一つで非常に強い恐怖演出効果を引き出すことができる。これに対して、ホラーゲームの「ビジュアル」は視覚的にはっきりした恐怖そのものが提示できる分、プレイヤーに与えるインパクトの平均化は得意なものの、しっかりとした輪郭を持った絵として提示されたイメージがそのままプレイヤーの想像力を固定、制限してしまうためにその効果は全体として薄まらざるを得ない。恐怖を感じるハードルは、個々人の感性によって驚くほど高くもなり低くもなる。むしろ一枚のアートワークでより多くの人に恐怖感を与えるのは、言うほど簡単なことではない。

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絵作りの妙が生む、潜む恐怖

初出から強烈な印象を生んだアートワークを例にとってみよう。そこに見える恐怖の源泉は、間違いなく「深夜」「花嫁」「電話ボックス」によるミスマッチをはらんだ「日常」を切り取った上で、その部品をアンバランスかつ異様な貼り付け方をしたコラージュ的な不安感にあるだろう。こんな時間にウェディングドレスを着た女性が、光に吸い寄せられる蛾の羽音が聞こえそうな深夜の電話ボックスに向かっているという、明らかに何かしらの意思を感じさせる構図。こちらに向かって襲い掛かってくるような直接的な恐怖とは少しずれた、むしろこちらの存在に気づいているのか気づいていないのか分からないほどに静かで、だからこ迂闊に息ができないような緊張感がそこにはある。

こちらを見ていない花嫁から目が離せないと同時に背景の暗闇に視線がいってしまう

あるいは一章で顔が半分植物になってしまった警備員が逃げ惑うシーン。これは非常にダイレクトに恐怖心や生理的嫌悪感を感じさせる絵ではある。だが大事なのは、この画面の中に大写しになっている警備員はこちらを向いているように見えて、実はまったくこちらを意に介していない点である。まったくの他人に訪れた怪異の悪意、その本体はよく見れば、画面の奥行きの先にしっかりと描かれている。

ストーリーの流れの中で警備員が「何か」に襲われたことをプレイヤーが知っているからこそ背景に存在するかもしれない「何か」を探してしまうように誘導される構図
不気味さを感じる対象を故意に端に寄せることによって画面右半分の「奥行き」にも焦点がいく
右手前からの視点でピントを合わせることにより左奥部分に「奥行き」「暗闇」を作り出している
この場面の直後、主人公の姿が現れてその隙間を埋めるが、このシーンだけみれば視線はオブジェクトとしての女子校生と「奥行き」の両面に引き寄せられる

さらに数点のアートワークを見ていれば、もうそれだけで雄弁に語るように、『死印』のアートワークの非常に優れている。これは可能な限り黒塗りではない暗さで複雑な奥行きを描き、その奥行きに構図の重心をとる設計がなされているためだ。3D映画などでZ軸である奥行き再現によって恐怖演出がより印象的に残るという研究結果もあるが、むしろここではもっと原始的な恐怖喚起が行われているように思える。つまりそれは、「何もない」かもしれない、「何かある。あるいは何かがいる」かもしれないと思わせる、原始的な恐怖心を上手く利用した絵作りだ。絵の中の主体へと注意を向けさせるインパクトと同時に、その奥にあるほかの何かを幻視させる。心の水面下で生まれて流れていく「不安感」を最大限に利用したこのアートワークの力は、『死印』というゲームのホラー部分の大きな部分を担っている。

ゲーム中、何度も何度も繰り返し見ることになる運転シーンにおいては、道沿いの奥に見えるラブホテルらしき建物なども効果的だ。同乗者がいようといまいと、それが男であろうと女であろうと、どこかの国道沿いのラブホテルを横を車で通る時は、なんとなく気鬱で重苦しい気分が流れ出す。まして死ぬか生きるかの瀬戸際に追い詰められている状況でも、ラブホテルの横を通っていかなければならないという、やるせない空気感をよく表現している。このゲームを通して感じ続ける、台風がくる直前の気圧の重さによる心身不良のような雰囲気は、優れたアートワークとインゲームでの絵作りに支えられている。

 

薄いテキストと人物描写の軽さ

ビジュアル面での努力は非常に伝わってくる上に功を奏しているのだが、反面テキスト自体のボリュームが薄いのは気になる。実は今作は、会話シーンで誰が発言しているか分からない上に、バックログの表示ができないというUI上の欠点を抱えている。だが、あまりにもテキストの内容が淡白に過ぎて、ほぼそれが気にならない。ストーリーを進める上で、このUIのために不都合が発生した場面はなかった。ただ、絵だけでなくテキストも主軸にして状況を伝えるホラーアドベンチャーは、絵とテキストの両立が成立していなければ、ほかのメディアに対する「ゲームであること」の強みを消してしまう。

特に『死印』では、章ごとに「印人」という、身体の一部分に「シルシ」という刻印が浮かび上がってしまった被害者がゲストキャラとして登場する。「印人」は各人非常に魅力的な設定を備えているのだが、人物の掘り下げがほとんど行われないために、感情移入どころか何のため現れ退場していったのかすらほとんどわからずじまいになってしまっている。確かに彼らの生き死には、その章ごとのルート選択の成否の判別、あるいはプラスアルファの要素のためにもあり、ゲームシステム上は意味のあるものであるのは理解できる。だがシステム上にしか意味がない登場人物たちが、各人の持つ人物や背景に関して充分な説明なしに生き残ったり死んだりするのを眺めながら進んでいく物語は、極めて無機質なものにならざるを得ない。ひとりひとりに重要な背景がありそうな雰囲気と、各人の持つ底の知れない狂気だけを匂わせておいて、テキストで充分な補完をしない。作中に用意された非常に魅力的な題材をを生かしきれていないのは重大な機会損失のように思えてならない。そこにほんの少しこだわりを持てさえすれば、『死印』というゲームはもっと深みと厚みのある内容でリリースできた筈だったと思うと、重ねて残念でならない。

 

ゲーム部分とUI

本作はポイント&クリックや探索要素も持つホラーアドベンチャーゲームという位置づけではあるが、絵や音のみで物語が進んでいくわけではなく、テキストは重要な位置づけにある。テキストでも物語を牽引するアドベンチャーゲームは、どうやってその物語を「ゲーム」として成立させるか、つまり他メディアとの差別化をどうやって図るかという問題を抱えている。ほかのジャンルのゲームと比較すると圧倒的にゲームとしてのインタラクト性に制限がつきやすく、この種のゲームは実はいまだに発展の試行錯誤の中にあると言っていいだろう。もちろん『死印』においても、その腐心の痕跡は見て取れる。

今作の大きなゲーム部分の流れは、敵である「怪異」の正体を探り対抗策を探る「調査パート」と、直接「怪異」と対峙する「怪異戦パート」に分かれている。まず「調査パート」では時折「デッドリーチョイス」という、制限時間内に正解の選択肢を選ばないとライフゲージが大幅に削られる、あるいは即死するというゲーム部分がある。だがさほど難しくない選択肢の上に、死んでからのリトライは容易である。ゲーム進行上のストレスとなるほどではないのだが、選択肢を間違うと即死するということが、特にゲームの緊張感として作用しているようには思えなかった。場合によって面白さを感じる部分もあるにはあったが、全体を通して考えると、そこまで必要な要素ではなかったのではないかと思う。

調査パートで集めたアイテムとパートナーの行動との組み合わせによって連携が生じる「怪異戦パート」は、これも一回でも間違うとほぼゲームオーバーとなる。しかし一方で、選択肢を考えて行動し、それが上手くはまった時には、意外なほどしっかりとしたゲーム的カタルシスを得ることができる。ここでも怪異のデザインの優秀さに支えられている部分が見え隠れするものの、調査パートでの結果と照らし合わせて行動を決める時には、間違ったら即死する緊張感が存在している。

緊張感のあまりない「デッドリーチョイス」と、緊張感の持てる「怪異戦」の両者は実に好対照ではあるが、結局当該ゲームのシナリオの文脈上の整合性と脈絡がはっきりと「ない」か「ある」かの差が両者の差を生み出しているのだろう。これは図らずも「テキストと絵と音で状況を伝えるアドベンチャーゲーム」における「ゲーム部分」の在り方を考える良い材料ではあるのだが、この記事はそれを考察するものではない。移動UIの不都合による進行の圧倒的なストレスに関しては見逃せない欠点ではあるが、プレビュー時に述べた通りなのでここでは割愛する。

 

恐怖と引き換えに生まれる「ホラーミステリ」としての完成度

一般に、ホラーゲームが最初から最後まで一定のテンションで恐怖であり続けることはあり得ない。それは筆者も含め誰もが常々述べているように、「恐怖」はどこかで「慣れる」からだ。ことにホラーゲームという分野でそれが問題にされるのは、映画などと比べてゲームのプレイ時間が比較的長いこともその一因といえるだろう。そもそも人間は極度の緊張と恐怖に長時間耐えられない生き物であり、精神的に慣れることによってその状況を回避するのは、知性のある生き物としてはむしろ当然のことだ。緊張感と恐怖を持続させるために、あらゆるホラーゲームがさまざまな工夫を重ねているが、最終的にはやはり慣れる。

直接的な恐怖シーンよりは、むしろずっしりと重たい空気に溺れて行くような恐怖感と生理的嫌悪感が主体の『死印』もその例に漏れない。いや、むしろ一章ごとに「怪異」という存在を打ち倒す流れは、「不安や恐怖からの脱却」と「慣れ」を強く促進する材料といえる。しかし、本作は「ホラー」が「ホラー」であり続けられないという宿命的な命題を、プレイを通じてご都合主義的に見えていたゲーム展開の重要な側面と、最終局面までずっと散らばった重要な伏線を見事に回収することによって、「ホラー」から「ホラーミステリ」へとその姿を昇華させている。つまりゲームの進行度とともに薄れていく「恐怖心」と引き換えにした確かな感触の「物語」がそこに生まれているのだ。「ホラー」に始まったものを「リドルストーリー化」という逃避や、まるで積み残して回収できなかった伏線を続編への布石のように中途半端に終わらせなかった手腕は、評価されてしかるべきであろう。テキスト全体の薄さに対して高いシナリオの質というのは、実に意外な驚きではあった。

結びに

最後までプレイした上で改めて振り返ると、プレビューで本作品に対して「非常に目が粗い」と評した時の思いは最後まで大きくはぶれなかったが、最終局面で『死印』という作品に対しての見え方は大きく変わった。もしかすると、完全に固められた恐怖体験を求めているプレイヤーに対してこのゲームは大きく希求しないかもしれないが、全体を通して考えればいい意味で佳作であり、良質なアドベンチャーゲームと呼んでもいいだろう。無論改善すべき点は多く、決して手放しで完成度を担保することはできない。しかし「ホラーADV」という、純粋な商業作品では決して一般受けがいいとは言えないジャンルに踏み込む姿勢は賞賛に値する。純粋に一人のホラーゲームファン。ADVファンとして「小品ながら佳作」と呼び得る作品が今後増えていくことを大いに期待したい。もちろん今作制作陣の後継策にも期待したいが、それは佳作の枠を大きく超えて名作に届いて欲しい。ポテンシャルは充分だろう。

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