昨今、海外でビジュアルノベルが活況を呈している。ビジュアルノベルの特徴的なスタイルである「立ち絵で物語を語ること」は、原理主義的にいえばグラフィックアドベンチャーを作り上げてきたシエラオンライン(のちのシエラエンターテインメント)が『ミステリーハウス』をリリースした時に生まれたものだ。その時点ではキャラクターの立ち絵は少なく、満足にしゃべる描写もなかったが、たしかに『ミステリーハウス』にはキャラクターの絵と画面下部にメッセージが表示される。だが、シエラオンラインは、このスタイルを数年は発展させてはみたが『Kings Quest』に代表されるような三人称視点アドベンチャーに舵を切ったため、このスタイルは海外においては短い期間だけのオーパーツと化した。

左が『ミステリーハウス』(出典:MobyGames)右が『Kings Quest』(出典:MobyGames)

一方で我が国においては、海外のアドベンチャーゲームが諸雑誌で紹介されたときに、立ち絵が登場するスクリーンショットばかり採用されて紹介された背景から、アドベンチャーゲームには立ち絵が多くあるものと誤解されていた節があるかもしれない。さらにはキャラクターが登場する物語が求められたことによって、今に至るビジュアルノベル的なスタイルは短期間に熟成されて定着されていった。海外では日本でビジュアルノベルというジャンル名の呼称が誕生していない時期でも、日本の古典的なアドベンチャーゲームから立ち絵とダイアログボックスの特徴を読み取って、逆算的にビジュアルノベルとして再評価する向きがある。

スポンサーリンク

これはビジュアルノベルの拡張を意味し、その定義からすると『ポートピア連続殺人事件』もビジュアルノベルになってしまうのだが、それに伴い海外で積極的に紹介されていなかった日本のアドベンチャーゲームが再評価されること自体は歓迎すべきことだろう。これはひとつの体系的な歴史観であり、古典的なアドベンチャーから現代的なビジュアルノベルまでの文脈を整理し、さらなる理解を促してくれるはずだ。

90年代に入ってからの『弟切草』『かまいたちの夜』のサウンドノベル、そしてビジュアルノベルの名称的な起源でもある『雫』や『To Heart 』にしろ、ノベルゲームはミステリーや伝奇、ライトノベルなどの文学からの想像力が下支えしていた。だが海外製ビジュアルノベルの場合、そういった既存の文学を反映した文脈が失われ、フォーマットのみが伝来することによって日本製ビジュアルノベルとは違う様相を呈している。それはひとつに製作者のパーソナルな趣向や社会に対する態度表面が色濃く投影された流儀が垣間見えることであり、インディーゲームの最適な物語形式として利用されているということだ。

まずアドベンチャーゲームは海外から日本に渡来し、再び海外にビジュアルノベルとして渡った歴史的な推移は喜ばしいことだ。そして海外製ビジュアルノベルが日本のノベルゲームの文脈からいったん切り放されていることは、間違いなく新しい化学変化、創造性を生み出している。。近い将来、逆説的に海外ビジュアルノベルから影響を受けた日本のビジュアルノベルも誕生することだろう。海外ビジュアルノベルとはそのような国内外の作品・歴史に作用するようなダイナミックな動きが起きつつある。

 

SFのファーストコンタクトものとして幕を開ける『鱗羽の天使』

タイトル画面。本作にはグローバルセーブデータ機能があり、タイトル画面は物語展開によって変化する。

今回、レビューする『鱗羽の天使』はイギリスのデベロッパーのRadical Phiが制作した、竜と恋愛することが題材のビジュアルノベルだ。先に言っておくと筆者がプレイした日本語バージョンでは翻訳に数多くの難があり、ニュアンス的な理解や謎解き面でかなり苦労したのでそのことだけは注意されたし。アップデートに期待したいところだ。

さて、竜と恋愛するゲームと聞くとファンタジックな世界を想像するかもしれないが、本作は「人類が竜の世界の入り口を発見した場合、どのように対処するか?」というSF的なファーストコンタクトもののような筆致で幕を開ける。描かれる竜の世界も、近代的な行政や法の支配が機能しており、人間社会とほとんど変わらないどころか、ほとんど人間を竜に置きかけただけのような世界である。だが、まぎれもなくその世界にいるのは竜たちである。

*『鱗羽の天使』はDMMにて販売中。Steam版は後日日本語対応

主人公は人類代表の大使として竜の世界に着任する。その使命はというと、竜たちとテクノロジーの交換をすることによって貿易協定を結ぶこと。だが、主人公よりも先に派遣されていた人物が、竜たちに敵対する不穏な動きを見せ行方をくらまさせたことにより、人間と竜の友好関係はいったん棚上げしてしまう。同時に竜が殺される事件が頻発し、その疑いは姿を消した人間に向けられる。主人公は、竜の刑事と共に連続殺竜事件の捜査に協力しつつ、竜たちと再び友好関係を結ぶことができるか、というのが本作のストーリーだ。

 

一人称で語られるが、自我が読み取れない主人公

『鱗羽の天使』において、前述したような日本製ビジュアルノベルの文脈が失われている部分は主人公の立ち位置に見て取れる。本作の地の文における語りは一人称で描写され、主人公の台詞も数多く存在するのだが、奇妙なことに主人公のキャラクター性を感じさせる性格描写、いわゆるキャラクタリゼーションがほとんどない点がユニークなのだ。たとえば恋愛ゲームにおける一般的な選択肢とは、相手のキャラクターの相性や好みをプレイヤーが推測することが肝である。好感度をあげる選択肢だった場合はアタリ、好感度が横ばいか下げる選択肢だった場合はハズレと表現できるだろう。だが、本作の場合はこれに振れ幅があり、好感度が上げるものから、あからさまに突飛な行動や竜を邪険に扱う選択肢が存在する。つまり物語や主人公のキャラクター性からの要請で選択肢が提示されているのではなく、プレイヤー本位による選択肢がここにはあるのである。

振れ幅がある選択肢からは主人公の首尾一貫したキャラクター性は読み取れないが、勝手に他人のトイレや寝室を捜索したり、出会って間もないのにキスを要求したりと、変態的な自意識を隠した人間と解釈することは可能だ。

おそらくこれはもともと『鱗羽の天使』の原題『Angels with Scaly Wings』が、企画時点では『Dragon Dating Simulator』というタイトルが想定されていたことからも推測できるのだが、最初の出発の段階では恋愛シミュレーターで作られており、そこから方針転換したのか、そもそもビジュアルノベルへの誤解があるのかもしれない。

『鱗羽の天使』の主人公の立ち位置とは、いわば『Mass Effect』や『The Elder Scrolls V: Skyrim』のような海外製RPGに近く、このことは日本製ビジュアルノベルにない特性である。繰り返すことになるが、日本のノベルゲームというのは文学的な想像力が下支えしていたので、そこには近代小説的な主人公の自我や苦悩というものが描かれてきた。だが、本作には一人称の地の文と台詞が存在していながら、その自我はプレイヤーの手に委ねられている。この奇妙さはある種の誤解の産物なのかもしれないのだが、確かにそれまでになかった創造的な側面を持っている。

一方で、本作はゲームの進め方として、個別のキャラエンドを経て、トゥルーエンドに到達する典型的なビジュアルノベルの構造をもつ。二周目からはもはや規範的ともいっていいメタ物語構造が明らかになるだろう。さらにここで明かしておくとノーヒントで到達するには困難を極めるが、トゥルーエンドの後にも隠しエンディングがある。プレイ時間はその隠しエンディングまで含めると、30時間程度である。

 

フィクションの外側にあるはずのシステムがフィクションに作用する

功績システムは、本編を進めていくと自然に解除されていくものもあれば、わざと奇抜な行動をしないと解除されないものまで含まれる。

特徴的なのは個別のエンディングに到達するには、キャラクターの好感度を上げるだけではなく、それとは別に功績システムが存在することだ。この功績システムはXbox 360などの実績システムがゲーム内部で埋め込まれてると理解してくれて構わない。もちろんこういうのはやりこみ要素としても搭載されているのアドベンチャーゲームはこれまでにもいくつがあったが、本作では実際的にフラグとしての機能を有しており、それは周回しても引き継がれるところにオリジナリティがある。

例えば『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』のA.D.M.Sシステムのように、ゲームのシステムをフィクション内部にそのまま落としこむのもあれば、『ひぐらしの鳴く頃に』のようにゲームのシステムをフィクション内部に概念として落とし込むのがあった。『鱗羽の天使』の直系のご先祖は、『Fate/stay night』のステータス画面だろう。これはゲームシステムの概念をフィクション“外”に提示した例であり、システムを催しているものの、それ自体は何かルールに影響を与えるようなものとして機能していたわけではない。

『鱗羽の天使』の功績システムの場合は、最初こそそのようなにフィクションの外側にあるシステムを催した概念として取り繕っているが、実際はフラグとして機能し、またさきほどいった隠しエンディングにもこの功績システムが関係してくる。さらにここからこのシステム自体がフィクションにフィードバックさせてくるのが新しい。このことはゲームの冒頭からシステムが人称性をもってプレイヤーに語りかけてくるので、メタ的な意味合いを帯びているのおのずと判断がつく(ちなみに好感度が見れるステータス画面もやはりある)。だが『鱗羽の天使』はそのもっとも革新的な着想が、いささか地味な使われ方をしているのは否めない。この部分が優れていたら本作は大いに化けたアドベンチャーゲームになっていたことだろう。

このアイディアが大いに評価できるのは、『かまいたちの夜』が生み出したフローチャート構造が日本のアドベンチャーゲームに大きく寄与したからだ。『YU-NO』に及ばず、『街』のようにフローチャートとザッピングを組み合わせたものもある。タイトルを挙げるとその時点でネタバレになってしまうので具体的な名前をあげることは控えるが、あるアドベンチャーゲームではフローチャート自体に叙実トリックが仕掛けられており、フローチャート自体が嘘を付くゲームまで近年には存在する。
『鱗羽の天使』の功績システムのようにフラグ自体が可視化されて収拾要素をもつのでもいいし、フィクション外にあるシステムを催した概念的なステータスが、そこからメタ的にフィクションにフィードバックできる関係性を持てたとしたら、おそらくビジュアルノベルはさらに幅が広がることだろう。

システムのメタ性なども含めて、本作ではSF的なアプローチであることに対する必然性をある程度は保っている。“ある程度”と表現したのは、例えばいくつか明かされる真相において、実制作面でのアートワークの制約から演繹的にでっちあげた苦肉の策とも読める設定まで出てくるからだ。このゲームは総合的にはSFとして際立った完成を誇っているわけではない。だが、時系列性のあるとも読める個別エンディング、終盤に死体にまつわる描写はこのジャンルにまだまだ新奇性をもたらせることを示している。

 

ファーリーに対する自己言及的なメタファー

竜の一枚絵はエロティックだ。

最後に、根幹である竜との恋愛要素について触れておこう。竜が殺される事件の捜査の一日が終わると、好みの竜を訪ねることができる。竜とお酒を飲んだり、一緒にたわいもない遊びをしていくと、竜にも悩みや夢があったり、竜の中で対立があったり、竜のなかにもマイノリティが存在していることがわかる。竜社会も決して一枚岩ではないのだ。そういったデートシーンでは、好感度をあげていくと竜の一枚絵が表示される。優れたイラストだけではなく、おそらく演出も功を奏しているのだが、その一枚絵からは艶やかなエロティシズムを感じさせてくれる。

人間と竜は無邪気な関係を築いていくものの、クライマックスで明かされる竜の世界の真相に驚く人もいるかもしれない。だが、このことはケモナー/ファーリーに対する自己言及的なメタファーとして機能している。真相とそれに対する登場人物の反応は、海外製ビジュアルノベルの流儀でもある社会意識、つまりファーリー・ファンダムを守ろうとする作者の態度表明がSFとビジュアルノベルの手法を介して、ここから汲み取れるわけである。その意味ではSF的な想像力とファーリー・ファンダム、そしてビジュアルノベルという見事な婚姻を示したゲームが、本作『鱗羽の天使』であるといえるだろう。

ニュース

Indie Pick

インタビュー

レビュー・インプレ

Devlog