AUTOMATON vs. 木村祥朗 『moon』から『Million Onion Hotel』まで (中編)


前編より引き続き、Onion Games代表の木村祥朗氏へのインタビューです。

 


プロデューサーとしての木村祥朗

 

――キャリア最初の部分ではゲームの開発現場系だったのが、『NO MORE HEROES』あたりからプロデューサー職が増えていらっしゃっているように思えます。『NMH』はどのようにかかわられましたか?

 

プロデューサーでしたね。開発の進捗に合わせた宣伝とか、営業周りの動きの確認だとか、指揮だとか。ゲーム自体はディレクターがちゃんと取りまとめてくれていたというか、そもそもディレクターのものじゃないですか。僕は自分がディレクターのときにプロデューサーにそこを尊重してもらいたかったので、僕がプロデューサーのときはディレクターが仕事しやすいように頑張ろうっていうスタンスでしたね。

 

――では、『NMH』の独特の世界観にかかわったというわけではない?

 

それはもう完全にディレクターの世界がそのままそこにあるんですよ。僕がなんか言ったなんてことはない。ホームページはじめ、Web系のことで「こういうのにしたらいいんじゃないの?」っていうのはやってるけど。それも世界観を壊さないように。どちらかというと僕のほうが合わせる形。あれが初めて"人に合わせた仕事"かもしれない。

 

――いかがでしたか。人にあわせる。『NMH』という素材。

 

楽しかったけど、大変だった。あー、これはこれでいい仕事やな、と思った。勉強になるなと思ったし、ディレクターを支援する形で存在するってのがね。自分がディレクターやってたからこその気持ちでやれるわけだ。経験になった。でも、どうやろな……、僕には向いてない仕事かなとも同時に思ったよ。今でも思うし。

 

――やはりモノを創りたいですか。

 

モノを創る側にいたい。現場にいたりとか、話を書いたりとか、それこそスクリプトを自分で打つとか。コンテ描いて「こうしたい!」って話してみんなで創る方が面白い。どの過程にいたいかっていうと、創るところにいたい。

 


『Million Onion Hotel』、BitSummitへ

 

――それが今のOnion Gamesに至ると。そろそろOnion Gamesについてうかがいます。『MOH』、あれはいったいどういう経緯で生まれてきて、BitSummitに出展されたものなのでしょうか?

 

最初は、2012年のIGFで感動してね(注: のち社名の由来となる。泣けたことにたいし「タマネギだったんじゃないの?」とツッコミを入れられたことから)。インディーゲームすごいな、と。こんなものがこういうふうにみんなに喜ばれるのか、と。自分の変なゲームを創ったときに、それがたくさんの人に喜ばれることはないってそれまで思い込んでたのよ、じつは。ずーっとやってるとね、売れないし。『メタルギア』創ってるわけじゃないから売れないんですよ。名前を出すのもなんなんですが、『ドラクエ』や『メタルギア』じゃないんだから。

でも自分の創りたいものは確固としてあって、曲げられない。このままだと売れない、って思ってたんだけど全世界的にはこういうのも喜ぶ人がいるってわかったのよ。GDCで、IGFで。で、よし、やろう!って会社を創ったんだ。でも1年くらいモヤモヤしてて。そんなとき、BitSummitがあるってわかって。ミルキー(注: James Mielke氏。BitSummit発起人)がやってたのね。ミルキーは何回か会ったことがあったんだけど、「ミルキーです。木村さん、来たらいいじゃん」とメッセージが来て。「いや僕、アイデアの紙しかないんだけど」って返したら、「それでもいいからそれ見せて」って応じてくれたから、iPadに絵だけ入れて持っていって、そこで「ここからインディーゲーム今から頑張ります」ってやったんだ。

 

――それが去年のBitSummitと。

 

そんときにミルキーと話してて、BitSummitの感じが良かったのよ。何が良いって、自由なとこ。自由に創ればいいんだ! 好きに創ればいいんだ!っていうレーザービームがすごく来て。ああ、自由にやればいいんだって思ってた。だけど、BitSummitが終わった直後は、それはもう、『MOH』の影も形もない状態。んで、しばらくまた休んで何もなかったんだけど、あるときひらめいて。「こうしよう! こういうルールでこうしたい! こうしてこう!」って突然僕が好きなことをしゃべり始めるわけですよ。

 

――パズルっぽいフォーマットというか……パズルアクション?

 

まあ、ストーリーがあるんだけれど、パズルのレベルがこう! ってね。で、倉島くんとのキャッチボールが始まって。わりと日曜大工的にやってたんだけど、あるタイミングでみんなでガッと製作したのよ。

 

ゆっくりしたキャッチボールだったのよ。普通に仕事だと、一週間とかゲームで働けるじゃん。そういうのじゃなくて、ほんとに1か月に何回かがゲーム、みたいな長いスパンでやっていく感じ。

 

――ちなみに、ご自身はフルタイムでなにかお仕事を持っていらっしゃるということでしょうか?

 

Onion Gamesで受けてる仕事だね。それで営業して、絵の仕事を受けたりだとか、うちの倉島くんはこういう絵が描けるのでどうですか? って企画してアルバイトしないと生きていけないんで。だから、ね、地味だよね(笑) 地道に仕事してる感じ。あとは自分の企画も売り込んだりもするよ。

 


『MOH』の展開と経緯

 

――Onion Gamesのサイトを見た時に印象的だったのが、英語のページがトップに来ることです。

 

日本語のページはない。ないのは、作るパワーがないから……(笑) つまりにね、日本語版と英語版のBlogをダブルで運営するのはとってもパワーがいるんよ。無理(笑)

 

――相当海外の方を意識していらっしゃるのかなと思いました。

 

それは初めて聞いてくれる人が現れたな。それ、普通は気になるよね。つまり、僕は全世界に売りたいわけじゃん。日本のお客さんにももちろん売りたい。でも、日本のお客さんはさ、だいたい僕のTwitterを見てるわけじゃん。あとはポリポリクラブのブログや放送があったりとか、そこでも発信できる。

だから、いつかは日本語版ウェブサイトを作るけれど、日本にたいしては早急にやるというよりは、みんなとのコミュニケーションを重視したいなと思ってるのね。公式ページよりも出たものについてやりとりしよう、ってわけ。海外のほうは頻繁に英語打てないし、やりとりもできない。それだったら、海外向けにはブログを作って、コンテンツを溜めていって、海外の方がOnion Gamesに興味を持ったらそこを見ればあらかたわかるようにしておこうかな、って作戦。だから、アメリカやイギリスの人がアクセスしやすいように作ってる。

 

――定期的な更新がキャラクターのドットグラフィックスを並べていくもの、というのは効果的だと感じました。あれはどなたが発案されたのでしょうか?

 

僕(笑) 倉島くんがドット描くの速いんで。

 

――希少種ですね。

 

素晴らしいんですよ。しかもレベル高いんで。これも(Tシャツを指差す。アスパラさんの絵)一発でね……いや、最初は白かったか。白くてエロかった。緑になったのは、緑にしてくれって僕が言ったから。でも最初っからいきなりホワイトアスパラを描いてきたね。

 

――ホワイトアスパラをドット絵で綺麗に!

 

陰影を活かしてね。

 

――ちなみに、その倉島さんとはどのようなつながりで?

 

スクウェアの同期だよ。昔っから一緒にいるんよ。彼はもう、親戚のお兄ちゃんくらいつきあいが長いの。東京来て1年目にスクウェアに新入社員で入ったあとも、ラブデリックでも、そのあと彼がバンプールに入っても僕は近所で『チュウリップ』創ってて。『王様物語』のときは彼がモンスターデザイン。

僕が一人芝居をやるときにも「倉島、チラシ描いて」ってお願いしてね。何でも彼にお願いするよ。なんだろ、漫才でいうところの相方みたいな感じ?

 

――ラブデリックが解散して、いろんな会社ができて、メンバーも散り散りになったという印象がなくもありません。しかし、そういう意見の不一致があったというわけではなく、創りたいものがそれぞれあったからとか、そういうことだったのでしょうか?

 

もう昔のことだから覚えてないんだよなー。自然解散としか言いようがない。みんなやりたいことが別にあったということなんじゃないかな。僕はちょっと病気になっちゃったからね、わりとキレイに離脱したことになるかな……。いやキレイではないか、あわただしく。でも肉体的には復活して『チュウリップ』創ったからね。

僕は長くいるわりにはたくさん創ってないのよ。旅に出ちゃうし。山にこもってる時間もあるし、実際ゲーム創り始めるまで考えてる時間も長いし。『RULE of ROSE』と『王様物語』の間はすごく長い。自分のオリジナリティを発揮するための時間が長い。あいだに時間がないとダメみたい。

 

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軽いフットワーク

 

――なるほど。ちょっとベタな質問かもしれませんが、これまでかかわってこられた作品のなかでベスト1本を選ぶならどれでしょうか?

 

1本! ……『Millon Onion Hotel』(笑)

 

――そこは『moon』と答えていただけるのかと思いましたが(笑) やはり今がベストですか?

 

んー……。ベストか……。何が一番好きか? ただ好きっていうだけ、世間の評価がどうとかじゃなくてね、それでいくと『チュウリップ』。だって、たぶん誰も二度とあれに似たものは創らないし、創れないし、僕自身も今あれをニコ動で観ると「この感じは、今、僕に書けるのかな」って思うよ。昔の僕っておかしかったなって(笑) でも、『MOH』も『チュウリップ』と似てるでしょ?

 

――グラフィックスのタッチが完全に一致するわけではありませんが、独特の味わいは根底にあるなと感じます。私たち執筆陣でも木村さんの話が出たとき、トレーラーを観て「ああラブデリの人か!」「いわれてみればそんな気もするな」みたいな意見が出ました。もちろん、関係は複雑なのかもしれませんが。

 

複雑? あー、みんなから見たらそういうふうに映るのか。複雑な事情がありそうな、みたいな?

 

――そうですね。解散とかがあると、「なんかあったんじゃないか?」と外様からはどうしても思ってしまいます。

 

解散したっていうか、別のチームになっちゃったんだよね。『moon』のあとラブデリックの時点で2チーム存在したし。だから、それはやむないこと。

 

――フットワークが軽いんですね。

 

一つでいることに固執しなかったんだよね。一つでいたほうがよかったんじゃないの? って誰かが突っ込んでくれたら「そうかも?」って思えるかもしれないけど……。

 

――結果的に分派から多数の作品が出ています。今のインディーゲーム界隈は比較的そういったスタイルがしばしばあるように思います。海外だと、有名なゲームを創っていたスタッフが他のインディーデベロッパーにアドバイザーとして入ったりだとか、そもそも別の会社を立ち上げたりだとか。そういうものを見ていると、今の時勢、人材の流動性のようなものを10年前の時点で達成されていたのかなとお話を聞いて思いました。

 

今でこそニュースとして伝播するスピードが速いからそういうことがわかるだけで、たぶん昔も今もこれからも、大きな会社から離脱して小さな会社を作る人ってのはたくさんいて。一人で最初からゲームを創っていて会社に入りたくない人ってのもたくさんいて。その人たちが昔だったら気づかれずに消えてゆきなくなっちゃったんでしょうけれど、最近はやはり露出しますよね。面白いゲームさえ創れば注目してもらえる。チャンスありだよね。

だって、Twitterってすごくないですか? おかしな人現れたらみんなフォローするじゃん。べつにゲーム創る人におかしな人になれとは思わないけど。告知という面だけでいえばさ、たとえば「私は女子高生のゲームデザイナー」って名乗って「インディーゲーム始めました」「3人組です!」って言えばさ、みんな見そうじゃん。……ま、でも、ないだろうな(笑)

 

――(笑)女子高生はちょっと難しいかもしれませんね。

 

でもゲーム実況者には女子がいる。僕去年インディーゲームフェスでゲーム実況観てたら、男前と女の子がお客さんでさ、「何だこのファンの集いは!」って驚いて。女の子の実況者に男性ファンってのはつくんでしょうね。

ゲーム実況は良いよお、面白い。ゲーム実況こそがソムリエっぽいというか、その人が選んでくるものが面白いから観てるっていうか、あの感覚は悪くない。なぜこれがインディーゲームの宣伝に使えるって感覚にまで至らないんだろうね。ぜひ仲間になりたいけどね、インディーゲームとゲーム実況。

 

――盛り上がっているコミュニティであることには間違いありません。

 


「面白いゲーム」

 

……[熟考]……。面白いゲーム創りたいね……

 

――(笑)重いですね。

 

重い? じゃ、軽く。「面白いゲーム、創りたいね☆」みたいな? いやーでも、面白いゲーム創りたいよ。なんていえばいいのか、僕なんか中途半端なんですよ。ようは、音楽もちょっと、絵もちょっと、プログラムもちょっと、ライティングもちょっと、舞台みたいなものもちょっと。ちょっと・ちょっと・ちょっとなのよ。んで、世界観を創るのが好きで。ゲームの中でゲームの世界観を創ると、アスパラが生まれてくるわけだ。もう、アスパラ出すためにゲーム創ってるようなもんなのよ、どちらかというとね。

よくゲームシステムの話になるけど。『MOH』の話をするとね、BitSummitの取材でもね、「ゲームのシステムはどうなんですか?」って聞いてくるんですよ。で、「モグラたたきみたいなのです」って答えると、「揃えるんですか?」「パズルですか?」って返ってくる。いやもう、僕からするとまっこと遺憾なことで。こういう人たちはゲームっていうものをシステムでしか見てなくて、システムを伝えること=ゲームをお客さんに伝えることっていうか、そんな図式ができてるんだ。こんな人らの文法に沿って話すのめんどくさー、ってなるのよ。僕としてはアスパラさんの話をしたいわけじゃん。アスパラさんと、あそこに出てくる世界観の話をしたくて。

で、ま、今回は短いイントロダクションだけ、序盤を切り取って見せただけなんだけど、ほんとはもっと遊んでると物語が見えてくるように創ろうと思ってるんよ。それを、パズル!パズル!って言われると、「パズルちゃうのに……」って思うのね。なので、しかたないから「ポエムです」って言って、「ポエムって何?」って言わせる作戦にした(笑)

 

――ポエムって何ですか?

 

僕のショートストーリー。マイハート。

 

――YouTubeのショートトレイラーを拝見した感じですと、すでにストーリー性があそこからも伝わってきます。

 

良かった![強調] じつは、現場でゲームやる人よりも、トレイラーを観てくれた人のほうが何をやりたいのかを感じてくれてるはずなんよ。でも、あれではゲームのルールを知りたくてもわからないじゃん。でも、ゲームのシステムの話とからまないトレイラーのほうが僕のハートを示してて。直接仲間と編集して創ってるんでね。あれはいいよ、あれが僕の今の会心のデキ。

 

――なるほど。私自身もゲームを総合芸術だと考えています。プログラムとサウンドとグラフィックと、それこそカネやヒトまでも含めたその他もろもろ全部あわさってできるものだと常々意見しています。それをふまえて、あえてパズルをうんぬん言う方の気持ちを代弁すると、たぶん「そこが一番話しやすいから」というだけではないでしょうか。どんなゲームか? と聞かれたとき、アートスタイルに突っこもうとしたらかなり踏み込まなければなりません。クリエイターの信念や、過去の資産まで理解していないとなりません。でも、たとえばパズルならば「これはパズルですよね」と聞けば、とりあえずは無難なインタビューができるということなのかな、と思います。

 

そうかあー……。なんかさー、そこに踏み込んでくる人がねー……。いやね、この話するときに「ああ踏み込んでくるわ」って思ってね、踏み込んでくるねやったら話しよと思うてたんやけどね。

僕さ、ドット絵のゲーム創ってるじゃん。あれってただ単なるピクセルじゃないのよ。傍で見て指摘してきたのは外国人だけだったけど。日本人の方に「あっ、これってドットだけど何か違いますね」って話はされなかった。

 

――あえてドット的な表現を使っているというだけ?

 

ドットみたいなんだけど、ちょっと新しい感じっていうか。僕、アナログ感みたいなのが好きで。粘土とか人形とか木工細工とか、手作りのものが大好き。ただドット絵にしちゃうと機械的になっちゃうから、ドットの良さや雰囲気を保ちつつ模索していこうかな、と。ま、どうでもいいけどね(笑)

 


いつリリース?

 

――ところで、ゲームの開発進捗度はどれくらいでしょうか?

 

んー。この前50%って言ったんだけど、今30%くらいなんやろなって気になってきたりしてる。

 

――やはり理想を追い求めると、ということでしょうか?

 

でもね、やっぱり理想を追い求めててもね、いつか創り終えないとならんから。時間かけたからって良いもんができるとは限らんから。どうせ作品は僕のイメージの限界までしか追いつかんわけやから。僕が一生懸命やってみんな一生懸命やって、たどり着いたところがあれば、「よし!ゴール!」ってことになるよ。頑張って出したいな、秋までに。

 

――秋まで!

 

出したい。

 

――意外なスピード感なようにも思えます。

 

だってこれ大作じゃないもん(笑) 秋まで……秋までに出したいけど、冬になるってパターンかな……。今年中には出したい。BitSummitのときには『MOH』ではなく、違うもののプロトタイプを出したいよね。

もしずーっとこのゲーム創ってるとさ、来年BitSummitが始まったときまた『MOH』出すことになるじゃん。そうならないように頑張りたい。でも難しいな、毎年1回何か出すってのは難しいね。

 

――『KERO BLASTER』も第1回BitSummitで発表があって、リリースされたのはつい先日でした。苦労はつきものかなと。

 

でも完成してたね。天谷くん大尊敬だよ。昔からの天谷ファン。

 

――恥ずかしながら、『洞窟物語』からしか存じ上げません。

 

いや僕も『洞窟物語』からだよ(笑) 外国に行ってから知ったからね、これ日本人が創ってるんだって。そんで調べて、天谷くんなんだ! って。

 


 

後編へ続きます。