キリンの部屋 第5回 美しくも陰鬱な森を赤ずきんと共に彷徨う『The Path』を紹介

 

渋い声で粛々とゲームをプレイする【訛り実況】キリン氏。「キリンの部屋」は、そんな【訛り実況】キリン氏が声だけでなく“筆”で語りたくなったゲームを紹介していく不定期連載企画だ。今回は『The Path』をお届けする(編集部)。

童話『赤ずきん』を題材した創作物は世界中に多く存在するが、ゲームにおいてもそれは変わらない。原作のモチーフやストーリーを独自の発想で変換し展開することで紡ぎだされる、新たな『赤ずきん』。そんな“赤ずきんのアナザーストーリー”とも呼べる作品群の中で、私がもっとも陰惨な興奮と不安に翻弄されたのが『The Path』の赤ずきん達だった。……そう、“達”なのだ。このゲームの赤ずきんとは総勢6人の姉妹のこと。その彼女たちを狼が住まう森に一人ずつ導いて、時にはさまよいながらお婆さんの家を目指す――実にシンプルな構成だと思うだろう。しかしプレイしているうちに必ずあなたも「これは……今までの赤ずきんとはどこか違うぞ……?」と、『The Path』の魅力に引き込まれていくはずだ。

 

6人の『赤ずきん』たちの軌跡とその終着点で待ち受けるもの

このゲームはプレイキャラを6人の中からひとり選択できるのだが、初めてプレイしたときはロビンという名の少女を連れて森へ出かけた。キャラクター選択画面で待機中の動作を見て「どうやら一番年下みたいだな……園児くらいか?」と感じ、まずはこの子からお婆ちゃんの家に送り出してあげなくてはと思ったのだ。残された5人がアンニュイな表情で見送る中、ロビンは意気揚々と出発した。

6人がそれぞれの過ごし方で待っている図。後で知ったがロビンはこの時点で9歳だったようだ。
6人がそれぞれの過ごし方で待っている図。後で知ったがロビンはこの時点で9歳だったようだ。

ゲームがスタートすると、タイトルにもある森の小道(the path)が俯瞰で見え、小さな赤ずきんの姿が現れる。上から見下ろすと余計に小っちゃいなロビン! ややあって画面が切り替わると、優しげな色味の草や樹木と、小道の手前でたたずむロビンのうしろ姿が非常に可愛らしく、すでに操作できることをわかっていながらも、少しの間のんびりと眺めてしまった。BGMといいなんだ、この癒しのひとときは……。しばしまったりしたのち、ようやく小道を歩いてみることにした。背の高い木々が並ぶ森の中に伸びた、このまっすぐな道を素直に進んでいいものか、はたまた深い森の中にダイブしていくべきか。ロビンを全力疾走させて不器用に駆ける姿を愛でたりしながら悩んでみたが、とりあえずはこの道を終点まで歩いてみることにした。やはり横道を逸れるなどのやり込みプレイは素直に最後まで楽しんでからだ、と思ったのだ……しかしすぐにそれは間違いだと気づくことになるんだけど。

道の先へと進むごとに、あんなに優しくやわらかだった陽の光が、だんだん紫色の怪しい光になって……橋がある。向こう側にうっすら見えているのは……お婆ちゃんの家。着いてしまったのだ。チャプターの終点であるお婆ちゃんの家に、何ひとつ起こらないままで。「……あれ?何もイベントが無いまま着いちゃったぞ……しかもこの家、なんかハイカラだし……もうちょっと古びた家とかに住んでるものなんじゃないのお婆ちゃんて」となぜかお婆ちゃんの暮らしぶりに文句を言いながらエントランスを進む。ロビンのスキップが可愛い。「いや、まだだ……お婆ちゃんの家の中で何か最高なイベントが用意されているんだ」と自分に言い聞かせながら屋内に入っていく。この家は2階建てのようだが内部の様子がどこかおかしい。歪な構造の部屋なのか、私の視野自体が狭くなってしまったのか?と錯覚するような闇が部屋の中を覆っていて……お婆ちゃんの趣味ってどんなんなのと、首をかしげながら最後の部屋の前まで来た。扉が開くとベッドに寝ているお婆ちゃんが。そこに走り寄るロビン。まったりとした時間が流れる……そこからの暗転、リザルト画面。私、呆然。

あまりな展開に困惑しながらも、頭にはさまざまな謎が浮かんでくる。狼なんて本当にいるのか?お婆ちゃんの顔色が悪いけども、お婆ちゃんは本当に生きているのか?いったいロビンはこの家に何しに来たのか? 狼というのは本当はロビンたちのことではないのか?そもそも一本道を進んできたのは正解なのか? 

謎が謎を呼びすぎて深みにハマり、気が付いた時には次々と異なる赤ずきんと共に散策を試みた。そして狼らしき存在に初めて出会えたのは4人目のルビーの時だ。正確にいうと、すべてプレイを終えた今ならば「アレがたぶん狼だったんだろうな」と思えるけど、あの時はあまりの超展開でロビンの時とは別の意味で呆気にとられてしまった。

ルビーをプレイ中に遭遇したのは、何やら1人の若い男。煙草を吸って見るからにワルそうな男にルビーが近付いていく。
ルビーをプレイ中に遭遇したのは、何やら1人の若い男。煙草を吸って見るからにワルそうな男にルビーが近付いていく。
狼らしき存在に接触した……と思ったのもつかの間、次の画面ではルビーがお婆ちゃんの家の前に倒れていた。
狼らしき存在に接触した……と思ったのもつかの間、次の画面ではルビーがお婆ちゃんの家の前に倒れていた。

森の奥は緑の色も褪せて、暗い雰囲気が漂っている。そんな中でルビーが遭遇したのは毛むくじゃらで鋭い牙の獣ではなく、若い男だった。談笑する2人の姿とエンジン音のようなBGMに困惑していると、一転してお婆ちゃん家の前で倒れ雨に打たれるルビーの姿が。その脚がなんだか本来曲がらない方向へ曲がっているように見えて息をのんだ。すぐに「そうだ、こっちは義足か……」と安堵したが、それでも痛ましい心地が拭えるものではない。ようやく気がついた彼女が力無く立ち上がりエントランスを進むのを見ながら私は混乱した。それまでプレイしてきた3人は森へ寄らずにお婆ちゃんの家へまっすぐ到着していたのだが、みんな元気に自分の足でお婆ちゃんの家まで歩いて行った。なぜ森へ寄ったルビーだけが、その奥で若い男と接触したルビーだけが、まるで死体のようにお婆ちゃんの家の前に打ち捨てられたのか?

やがて家の中に入ると、さらに私の表情が険しくなった。森へ寄り道せずに辿り着いた3人の時はやや奇妙な部分はあっても家の構造は普通だった。しかしルビーの時は終始陰惨な雰囲気が漂い、構造も異次元に繋がっているとしか思えないほど変わり果てていたからだ。

ロビンの時にはこんな家だったのが……。
ロビンの時にはこんな家だったのが……。
ルビーではこんな姿に……。
ルビーではこんな姿に……。
どうやら家の構造も最初からそれぞれ違うようだが、その時の衝撃は凄く、そして同時に興奮も覚えた。最後、お婆ちゃんが居るであろう部屋に辿り着いた時、そこでは……。
どうやら家の構造も最初からそれぞれ違うようだが、その時の衝撃は凄く、そして同時に興奮も覚えた。最後、お婆ちゃんが居るであろう部屋に辿り着いた時、そこでは……。

ルビーはどのような出来事に遭遇したのか?さまざまな考察があり定かではないが、もろもろ細かい部分はともかく「狼」によって死がもたらされた……と解釈するのが自然だ。そしてルビー以外の赤ずきんたちもまた、それぞれの「狼」と遭遇し一人また一人と最初の家から姿を消していくことになる。正直に言うと、私はこの赤ずきんたちの迎える結末に対する痛ましさ以上に、全員いなくなったら最後はどうなるのだろうという心躍る好奇心の方が圧倒的に勝ってしまった。それほどこの陰鬱とした雰囲気にすっかり魅了されてしまっていたんだなァ……。
6人全員のプレイを終えた後、一番印象に残った少女は……ジンジャーか。この子の場合は、狼というより「友達」が森の中になぜかいたのだが、その友達とジンジャーが一緒に遊んでいたのが印象的だった。周りは秋のように色づいた草木たち。その場面を見守っているだけでノスタルジックな気持ちになった。私もこんな子どもの頃があったな……と懐かしみながらも、一方でこの子もこれでいなくなるんだという後ろ暗い愉しさを感じた。

少女たちの部屋から一人づついなくなる。みんな一緒に行ったらいいんじゃと思ってしまってゴメン。
少女たちの部屋から一人づついなくなる。みんな一緒に行ったらいいんじゃと思ってしまってゴメン。

ちなみに、森の中には狼の他にも出会う存在がいる。白いワンピースを身に着けた少女がそれだ。この子が森の中でなぜ歩き回っているのか知らないが、姉妹たちと出会うと手を引いて正規ルートのまっすぐな道へ導いてくれるのだ。迷った時なんかは画面上に現れる目印を頼りにこの白い少女を見つけ、連れてってもらうのがいいだろう。

赤い服の姉妹たちとは対照的な白い服の少女……この子の存在は童話の「赤ずきん」で言うところの「猟師」だったり「お母さん」だったりするのかな、というのが私が感じたことだ。迷ったら手を繋いで連れ戻してくれる、それと同時に狼からも守ってくれているのではないか。お母さんであり同時に猟師でもある白い少女自体は、1人で森をうろついていても平気なのか、なぜこんなところにいるのか、そもそも何者なんだ……といまだに疑問ばかりが出てくる謎の存在なのだ。

狼の話もすると、6人の少女たちに対してそれぞれ違う姿で現れるが、少女たちにとって一番「刺激的」だった出来事や人物が「狼」として現れたのではないかと思う。前述した煙草を吸う若い男、木こりで斧を持った男、湖の上に浮かぶ妖精のようなもの、友達、ピアノの先生、一番狼らしい獣……どれもバリエーションに富んでいて「ああ、この存在に出会ったから彼女たちは殺されたのか……」とすぐにピンとくる。それは本当に刺激的で、人生の最後の残酷な瞬間だったのだろう。

白いワンピースの少女。このゲームの中で唯一の良心。
白いワンピースの少女。このゲームの中で唯一の良心。

『The Path』で体験したゲームプレイを実況動画として投稿した後に、ネットでこのゲームに関する考察や解釈を調べてみた。私もいろいろ考察してはみたけど、他の人はどう感じたのだろうと。今でもプレイするが、2009年の動画投稿当時よりも現在、考察しているブログなどが増えてきていた。それらに目を通しているだけでも面白いので、みなさんもさまざまな考察を読みながらプレイし、自分なりにも考察してみてはいかがだろうか。

そして「狼っていうのはこういう存在じゃないか」とか「お婆ちゃんが狼じゃないか」とかある中、私が改めて「なるほど!」と感じたのは、やはり白い少女の存在。私はこの少女は猟師でありお母さんである……と考えたが、そもそもこの少女自体が「狼」であるとか「お婆ちゃん」であるとかもじゅうぶん考えられる。手を引いて道に連れ戻してくれるのは、「狼」であるならばどうやって食べてやろうかと楽しんでいる最中……「お婆ちゃん」であるならばちゃんと寄り道しないで家においでとメッセージを飛ばしている……白い少女には無限の可能性が感じられる。

また、当時は日本語版はなく自分で英語を翻訳しながらプレイしていたが、今現在配信されている日本語版も見てみると「ここはこんな意味だったのか」とスッキリすることも多々ある。森の中に配置されているオブジェクトを調べると英文が出てくるのだが、どうも私の翻訳力(ほぼグーグル先生)ではいまいち理解できていなかった。よし、また改めて日本語版をプレイしてみよう。プレイするたび新たな発見がポコポコ出てくるのも『The Path』の魅力だ。

 

「Tale of Tales」が手掛けたゲームという手法を用いたアート作品

このゲームの魅力を単純に言い表すことはとても難しい。それほど多面的でプレイヤーの数だけさまざまな見解が交錯するからのなのだが、それでも私なりに特筆すべくプレイ中の情景を思い起こしてみたとき、一瞬にして浮かんだのは……寂しげだけど、ほのかに暖かく優しい光にあふれた色彩。それに相反する、清らかさや親愛という存在を断絶する暗緑色。それらが互いに明滅する不穏で美しい森と、さまよう6人の赤ずきんたちの存在感が形づくる世界観の危うい引力。自ら進んでその虜となることを望んでしまうことこそが『The Path』の根源的な魅力ではないだろうか。

もうひとつ特筆すべきはBGM。聞いているとだんだん不安になってしまうような湿った曲から、一度聴けばしばらく頭から離れないメイン曲など多種多様に揃っている。私もいまだにふと思い出しては「ててんててんてんてててててーん」と鼻歌を歌ってしまいそうになる。というか歌ってる。

最後に、「狼によって消えていく赤ずきん達を見届ける」以外で私がオススメしたい楽しみ方をひとつ。美しくも寂しさが感じられる音楽に聴き入りつつ、自分も赤ずきんになったつもりで森の中をひたすら散策しよう。もはや狼なんか無視して花を摘んでお婆ちゃんの家に直行してもいい。美しいビジュアルと音楽が頭の中に飛び込んできて、非日常的な体験ができることうけあいだ。 現在は日本語版も配信されているので、興味が出てきたであろうあなたもこれを機に狼に逢いに行ってみてはいかがだろうか。