『スーパーマリオ オデッセイ』現代都市ニュードンク・シティのとある仕様をめぐり、「怪談話」がひそかににぎわう


ニンテンドースイッチ向け3Dアクション『スーパーマリオ オデッセイ』でマリオは、個性豊かなステージを旅する。特に『スーパーマリオ オデッセイ』でフィーチャーされているのが「ニュードンク・シティ」だ。「ニュードンク・シティ」は現代都市を思わせる土地で、高層ビルが立ち並び、リアルな頭身の人間のキャラクターが生活している。マリオはそんな土地でバイクに乗り、時のビルの上を渡り「ムーン」を探していく。そんな本作の象徴ともいえる都市にまつわる怪しげな話をUSgamerが報じている。

子供のいない街

注目したいのはステージ内に登場する人々の存在だ。「ニュードンク・シティ」にはたくさんの人々が生活しているが、こうした人々はすべて大人だ。子供は見当たらない。前述したように同ステージはオフィスのような雰囲気があるので、子供が少ないのもそこまで不自然ではない。ただ、広場では大縄跳びをする人々がいるような和気あいあいとしたムードもあるなかで、ひとりも子供がいないというのは奇妙さがある。この設定をめぐってTwitterユーザーは「背筋が凍ってきた」「タクシーから人が出入りしないのも怖い」「(街に置いてある)タルが語っている」とホラーな方向に話をふくらましている

こうした推測を置いておいて、真面目に考察してみるとオープンワールドにおける子供の扱いというのは少々複雑になっている。街を自由に暴れまわる『グランド・セフト・オート』シリーズにおいては、各シリーズにおいて基本的には直接的には登場せず、幼稚園や小学校、通学バスなどでその存在を示唆するに留まっている。こうした理由について、ファンコミュニティフォーラムでもなぜ子供が登場しないのかと問う声は後を絶たない。こうした仕様について、ユーザー間では子供を殺してしまうことが問題になるとの見方である程度一致している。

考えてみると確かに同じく街を自由に暴れまわる『セインツロウ』シリーズでも子供が街を歩く姿は見かけない。ほかのオープンワールドにおいても、ゲームに登場することがあっても、攻撃できないエリアにいるか、イベントシーンにとどまることがほとんどだ。『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』には子供が存在するが、こうした子供に対してはインタラクションできるものの、攻撃はできない。

子供を登場させるか否か

ただ、今回『スーパーマリオ オデッセイ』では、マリオは「ニュードンク・シティ」の人々を踏みつけることができる。アクション演出は非常にコミカルなものだが、踏むというものが暴力表現だと考える人がいることも考えられる。踏むことはできないが子供を登場させるというのもひとつの案であったと思うが、『スーパーマリオ オデッセイ』においては、箱や棒などほとんどのオブジェクトに干渉することができる。あくまで推測であるが、干渉できないという点で不自然な子供を無理やり配置するより、ゲームデザインを一貫する意味で子供のいない都市を作り上げたのかもしれない。

子供を登場させない(もしくは攻撃できない)というのは、オープンワールドではある種の暗黙の了解とも言えるが、『スーパーマリオ』シリーズは子供から大人まで親しめるコンテンツであるので、子供だけが登場しないという点に違和感を抱きやすい点もある。「ニュードンク・シティ」はある程度はデフォルメされているものの、リアルな人々の生活感が描かれているからこそ、そうした点は強調される形になったのだろう。

一方で、こうした「ニュードンク・シティ」にまつわる“創作話”はなかなか興味深くはある。USgamerのコメント欄でもユーザーたちは「みんなポケモンタウンに行った」「子供嫌いな俺にとってはユートピア」「大人たちはクローンかも」など自由に妄想を膨らましている。華やかな都市「ニュードンク・シティ」には実は闇がある-。それぞれのステージを掘り下げる物語を創り、補完していくのも本作のひとつの楽しみ方なのかもしれない。