素潜りとゲーム


ゲームに一見関係しそうでじつはほとんど関係ない話題をお届けするのが「Not Gaming」です。弊誌執筆陣がいったい何者なのか、それぞれの得意分野などをご紹介することであきらかにしてゆきます。編集部メンバー全員持ち回りで毎週日曜日更新予定。

第3回は私、安田が担当します。テーマは「素潜りとゲーム」。

 


ゲームでいつも見かけるあのシーン

 

ゲーム中、キャラクターがスキューバ器材を使わず水に潜るシーンはいくらでもあります。FC『スーパーマリオブラザーズ』あたりはシチュエーションをご存知でない方のほうが少ないでしょう。ちなみに最近個人的に印象的だったのは『バイオハザード リベレーションズ』。今日び水が苦手なゲームキャラなんてごく一部の暗殺者くらいのものです。

さて、ゲームのキャラはみな一様にスイスイとみな泳ぎますが、生身の人間ではそうはいきません。今回は、素潜り(閉塞潜水)にまつわる"現実"をご紹介します。

ことさらいうまでもないのですが、この手の話をするにあたり念のため強調しておきましょう。「リアルだから良いというわけであはりません」。あくまでも、現実はそういうものだということです。

 


現実世界の素潜り

 

この世で素潜りなどという奇特な、じつに奇特な行為におよぼうとする人間の目的は大別すると3つ。ちなみに私は(技量はともかく)どれもやります。

まず第一、漁です。ドラマ『あまちゃん』で微妙にスポットライトの当たった海女漁もふくまれます。潜って手でエビや貝を取ったり、スピアなどを使って魚を突いたりと、おおよそみなさんの想像するとおりのものです。

ただし、好き勝手にやってよいものではありません。密猟は立派な犯罪です。指定された海域でやる、期間限定の漁業権を借り受けるなど、きちんとした手続きを経なければなりません。さもなくば逮捕です。ナマコを乱獲していた輩がお縄になったニュースを耳にした方もいらっしゃるのではないでしょうか。

第二、シュノーケリングです。といっても水面でぷかぷか浮きながら海底を眺めるのではなく、潜ります。ここで潜る理由としては「楽しいから」以外にはなく、とくになにかを狩猟したりはしません。やるとすれば、せいぜいがカメラ撮影くらいです。この場合、深度は比較的浅く、10mくらいまでが一般的でしょう。

第三、それはフリーダイビング。アプネアとも呼ばれます。あらゆる閉塞潜水のなかでおそらくは一番競技性が強いもの……というより、閉塞潜水自体を競技としたものです。いかに長く息を止めていられるか、いかに深く潜れるか、いかに長く泳げるか。細かく部門が分かれていますが、そのあたりの説明は省略します。興味を持たれた方はWikipediaをごらんください。より細かい部分まで知りたい方はJAS(ジャパン・アプネア・ソサエティ。日本唯一の統一団体)またはAIDA(世界的なアプネア団体)のホームページをどうぞ。

アプネアをスポーツにカテゴライズすべき(していいの)か? という問題はさておき、アプネアこそが素潜りの"現実"を人体に教えてくれると断言できます。国内ではマイナーですが、そこに蓄積された技術体系と知識・経験は私を惹きつけてやみませんでした。すくなくとも、ゲームと関連付けて考える程度には。

 


水圧の壁

 

ゲームのキャラクターたちはすべて架空の存在であり、而して超人です。ですから、やたら息が長かったり深くへ潜れたりすることは不自然ではありません。ただし、そんな彼らでものがれられない(はずの)存在があります。それは、水圧。

水平方向に泳ぐぶんには、通常の水泳であろうが潜水であろうが、ほぼ1気圧下であり、水は抵抗と浮力をあたえてくれるにすぎません。しかし、垂直方向となると話は別です。水圧は人体に並々ならぬ影響をもたらします。

一般的に、水深が10m増すごとに1気圧上がるといわれています。たとえば水深10mならば2気圧、30mならば4気圧、50mならば6気圧です。これが何を意味するのか。細かい話は抜きにしてざっくりと説明してしまうと、2気圧になれば肺の体積は1/2に、4気圧になれば1/4になるということです。

強い影響を受けるのは肺と横隔膜で、大深度潜水(一般的には50m以上)するトップ選手になると、腹部はへこみ、さらに深くまで達すると皮膚までが圧で"広がる"そうです。私は30m強ほどしか潜れない初心者ですが、すでに水圧の強烈なプレッシャーを感じています。

これは、深く潜ればそのぶん肺の中の空気が減るということでもあります。圧縮された空気は酸素分圧がいくらか変化するため「苦しさ」については一概にはいえませんが、深く潜れば潜るほど肺の空気は急激に減少するとして誤りではないでしょう。

マリオが悠々と垂直方向にバタ足で潜水してゆくとき、彼の胸郭にはすさまじい水圧がかかっているのです。しかしマリオはそれしきのことでは動じません。なぜなら彼はマリオだからです。彼の肺と横隔膜の柔軟性は火を噴くヨガ行者も裸足で逃げ出すレベルに達しているにちがいありません。

 


耳抜きの壁

 

耳抜きの訓練も兼ねた潜行。 じっくりと10mまで潜り、 2分静止したのち浮上します。
耳抜きの訓練も兼ねた潜行。

じっくりと10mまで潜り、

2分静止したのち浮上します。

素潜りと水圧を語るにおいて、もう一つ重要なことがあります。それは耳抜きです。

「耳抜き」。あまり耳慣れない言葉かもしれません。しかし程度の差こそあれ、じつはみなさんは日常的に「耳抜き」しているのです。

周囲の気圧に変化がおこった際、まっさきに影響を受けるのは頭部・耳腔です。たとえば新幹線がトンネルに入ったときは減圧されますし、高所から降下すれば加圧されます。いずれの場合でも、鼻をつまんで息を吹きこむこと(バルサルバ法と呼ばれます)で解消されます。これは、耳管を開放することで鼓膜にかかっている圧を均等に保つ行為なのです。

すでに説明したとおり、アプネアでは急激に水圧が上昇します。その影響は、ある意味では肺以上に耳におとずれるのです。こればかりは実体験をともなわなければ理解しづらいところなのですが、わかりやすい実例をあげると、「この対応を誤ると水深5mで鼓膜が破れます」(筆者の妻)。

初心者からトップ選手にいたるまで、耳抜きは永遠のテーマになります。通常、入水前のブリーフィングでのチェック項目に「今日の耳の調子はどうか」が織りこまれているほどです。どれだけ息が長かろうと、肺活量が多かろうと、耳の調子が悪い――鼻炎・風邪・中耳炎その他――場合、深く潜ることはできません。

さらに、耳抜きには複数のテクニックが存在します。そのなかでも非常に難しく、かつ有効なのはハンズフリーと呼ばれる手法。その名の通り、手を一切使わず、頭部の随意筋だけを使って耳管を開放するという芸当です。「訓練すればいつかはできるようになる」とは言われているのですが、功夫不足の私はまったく安定しません。もしなにかの映像で海の奥深くまで沈んでいく人間をみかけたら、ぜひともその人物の頭部を想像していただきたいのです。カメラには映らないところで必死に筋肉を動かしているのですから。

さて、ではまたマリオに戻りましょう。マリオは耳抜きをする素振りをみせません。それどころか、マスクすらつけていません。これは素潜りをする者からすると荒行苦行を一歩越えた蛮勇にすら映ります。さらに、ハンズフリーでの耳抜きはもちろんのこと、鼻腔から海水が入り込んだ場合のサイナス(副鼻腔)の制御、気道の意図的な閉塞、すべてをマスターしているに違いありません。そう、彼はスーパーなのですから。

 


意識喪失の壁

 

水中での失神をアプネアではブラックアウトと呼びます。原因のうち大きなものは、みなさんご存知の酸欠です。水圧の話を抜きにするとして、「血中のO2がどんどん減っていってそのうちライフにダメージ」の構文はゲームでもよく見かけます。

しかし、現実のブラックアウトはゲームほどわかりやすくありません。存外境界線が曖昧なのです。上級者になれば「このコンディションと水温ならば、何分何秒まで閉塞しているとブラックアウトする」と、みずからの経験の積み重ねにより判断できるようになるそうなのですが、残念ながら私はその域に達していません。

ブラックアウトにいたるに前に、ある段階があります。それは、失神せず浮上したものの身体が制御不可能になる状態。これをLMC(通称「サンバ」、サンバを踊っているように痙攣することから)と呼びます。意識は喪失しませんが、バディのサポートがなければ危険です。LMC直前、人にはさまざまな生理的反応がおこります。私の場合、視界が若干グレースケール化し、視野も隅のほうから狭くなりました。わかりやすくいえば、『Call of Duty』で致命的なダメージをくらったときのアレです。

LMCではすまずブラックアウトしてしまった場合、潜水者にはいくつかの兆候があらわれます。泳ぎが弱々しくなる、フォームが乱れる、動きが止まる、息を吐いてしまう、など。こうなってしまうと急いで救助する必要があります。アプネアのチームに入った場合、まっさきに叩きこまれるのは溺者救助、レスキュー訓練です。

さて、「じゃあブラックアウトをゲームにたとえると?」なのですが、これが大変むずかしい。私は人に説明するとき「サイケデリックな夢を2つ同時に見ていた」と表現することにしているのですが、これでは誰にも伝わらなさそうです(自覚もあります)し、個人差もあるでしょう。さりとてゲームでブラックアウトに近しい描写を見かけたことがあるかというと、類似した事例を探し当てるのもまた至難なのです。ただ、もしあれがいわゆる「三途の川」というものだというのならば、私の場合とてもビビッドなものが用意されているのでしょう。すくなくとも『女神転生』シリーズで表現されるような、白州と霧と静寂をたたえた川、という感じではありませんでした。

長くなりましたので、要点だけまとめましょう。素潜りにおける意識喪失は、少々の前兆はあれど突然起きます。息苦しさという「O2ゲージ」もなくはありませんが、じつはあまり頼りになりません。専門的になりすぎるのでここでは詳述は避けます。

ゲームの超人たちは「限界まで泳いだのち突然苦しみだしゲームオーバー」が通例です。それは彼らが超人だからです。普通の人間であれば、おどろくほどスムースに気絶します。

ついでに余談をひとつ。そうした超人たちは一瞬の息継ぎで「O2ゲージ」を回復させますが、一般的には血中の酸素分圧が通常の値に戻るまで100秒から2分はかかるといわれています。超人の真似をして短時間の反復潜水をするとブラックアウトしかねないので絶対にやめましょう。

 


[重要] 真似しないように

 

いかがでしたでしょうか。すこしは素潜りに興味をお持ちいただけたなら、そしてゲームのキャラクターが泳ぐときに"リアリティ"を感じるようになっていただけたなら、本望です。個人的には上述のようなところまで再現したゲームが一本二本あってもいいような気もしますが、同時に「実際に海潜ればいいだろう」と自分で自分にツッコミをいれてしまいます。

ただ、ゲームにおける水描写がリアルになったからといって(一部のマニアをのぞいて)誰が喜ぶわけでもないでしょうが、ともあれ私のような目線で"超人"たちを観察している者もいるということです。

最後に一番大切なことをお伝えします。素潜りの訓練は、絶対に初心者は単独でおこなってはいけません。フリーダイビングを専門とするチームに所属し、指導をうけてください。陸上でのただの息ごらえですら一人でやると相応のリスクをともないます。とくに、プールでは絶対にやらないでください(そもそも潜水を禁じているところもあります)。人体は「ゲームの超人たち」よりもろく、おどろくほどあっさり死に至り、しかもコンティニューは不可能です。

 

潜水前も浮上後も決められた手続きで安全確認をします。 よほど熟練しないかぎり、この写真のように信頼できる指導者についてもらうべきです。 「川で死なない泳ぎ上手」になるのは至難の業。
潜水前も浮上後も決められた手続きで安全確認をします。

よほど熟練しないかぎり、この写真のように信頼できる指導者についてもらうべきです。

「川で死なない泳ぎ上手」になるのは至難の業。